やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

「吃音」の新聞記事について

 読売新聞の読者投稿欄に「吃音」の記事があった。
 投稿者の辛さが分かるとともに、現在の行動の前向きさにエールを送りたい。

 僕も、苦情などの電話対応の仕事をしていたときに、言葉が出づらい症状があらわれ、本当に辛かった。
 相手の方に失礼な感じを与えるし、同僚からも奇異の目で見られるし、さらに女性の上司からは小言を言われるし。

 本当に辛かった。結局、精神的にギリギリの状態になり、その仕事を外されたときは、考課的にはマイナスではあったが、僕は、うれしく、ホッとしたものだった。

 一度、この辛さを知ってしまうと、どうしても恐怖心が先にたち、ためらいがちになってしまう。
 かと言って、休むことも難しい。

 結局は、戦うしかないんだよな。たとえ笑われても。

 
 ついでに、その女性の上司だけど、保健師の資格を有していて、保健活動もしていたらしいけど、どうも吃音の症状については、無知のようでした。それくらい、社会に理解されていない苦しみなのです。

 引き籠っていないで、訴えていくしかないんだな。

知人の活躍で心が痛い

 僕の大昔の知人は、会社を経営している。
 彼が、今、東日本大震災の復興に際して活躍している。
 新聞、テレビにも取り上げられている。

 彼には、大昔、酷い目にあっている。木棒で打たれたり、説教をされたりと。そんなわけで、相応の恨みももっている。

 でも、僕も職を得てから、転々とする中で、彼との繋がりも自然消滅し、そして全く会っていなかったから、嫌な、思い出も消滅したと思っていたけど、そうではなかった。

 思い出してしまった。
 
 そんなわけで、僕は、あなたとの繋がりを、自分の意志で一方的に捨てることを決めた。自然消滅というわけでは無くて、自分の意志で。さようなら。

 40歳を過ぎて、非常に思うのは、「捨てる」ことの重要性だと感じる。



 

 
 

福島、塩屋埼ドライブ

 仙台から、福島県塩屋埼までドライブしてきた。
 国道6号線を上るドライブで、道の駅スタンプラリーも併せて参加してきた。

 当然、福島原発事故にからむ帰還困難区域を通過することになりました。
 住民の方には、失礼と思いながらも、現状を見てみたかったからです。

 国道6号線を自動車のみで通行可能で、至るところに警官や警備員が配置されておりました。
 もちろん道路沿いに表示されている放射線量も高くて驚きでした(想定内ですが)。

 通行時に感じたのは、その町の異様な静けさとさみしさでした。
 日常生活が突然奪われたのですから。

 そして、塩屋埼到着。
 辺りは、震災復旧工事が大がかりで行われていました。
 津波被害の大きさが、なんとなくですが、感じられたものでした。

NHKスペシャル 老人漂流社会をみて

 非常に深刻な問題だと思った。
 他人ごとではない。僕の縁者でも似たような人もいるし、僕も十数年後は必ず直面する。
 だから、30歳代の婚活は非常に重要で意味のあるものだったのだ。

 しかし、残念な結果に終わった。

 番組では、最後には、公的負担で救済するしかないみたいなことをいっていたが、なまぬるい。

 そもそも、国と地方でこれだけの借金を抱えておきながら、耐えられるとも思わない。

 財政規律を無視した国家運営をしたツケだ。

 あとは思ったのは、介護保険とはいったいなんだったのだ?
 番組に登場しないし、全然、役にたってないじゃないか!
 
 将来、自身の介護を少しでも面倒みてくれる制度だと思っていたけど、全然、違うらしい。

 お金を取られるだけ取られて、自身や家族のためではなく、全然、関係のない他人の面倒を見ているように感じる。
 見返りが限りなく期待できない制度だ。

 絶対に、国家には期待できない。

 とにかく、今から貯蓄をため、自己防衛するしかないと強く感じた。



  
 

情報制限~欲深い自分

 他者のブログを見て、いらないものを捨てるとか、必要最低限のものしか持たないとかいった内容を目にした。
 僕も、非常に感化された。
 とにかく、目について、ちょっとでも「欲しい」と思ったものは、手に入れてしまう癖がついてしまった。
 活用していれば、良いのだが、結局活用せずに、いつの間にか、家族が処分しているといったケースもある。
 また、最近、とんでもないないものを、手に入れてしまい、処遇に困るといった事態にもなっている。

 いまの自分は、「捨てる」勇気が欠如していると思う。

 だから、せめて、意図的に情報を制限して、入ってくるものを減らそう思っている。

 ・ネットサーフィンを止める。
 ・無駄にコンビニに入らない。
 ・欲得話からは、できるだけ避ける。その時は欲しいと思うけど、結局、役に立たないケースが多数。
 ・テレビを見ない
 ・書店には、入らない
 などなど、

 いままで、買い込んできたもので、自分の容量は既にオーバーしているから、十分だと思う。

 不要なものが減って、自分の存在が浮き上がってくればいいなぁと思っている。

独身者の増加について思うこと(戯言)

 僕は、今、40歳代だけど、20歳代前半の頃は、30歳代で独身者は圧倒的に少数だから、「どうしてなんだろう」「なにか理由があるのかなぁ」なんて、勘ぐったりしていた。

 時を経て、自分が30歳代どころか、40歳代にもなった今、思うことは独身者が男女ともに結構いて、結婚を焦っているものも確かにいるけれど、それ以上に、自分の時間を大切に過ごしている方々が多い。それに、労働事情で仕方なくという方も。

 世間一般も、昔みたいに珍しいといった目で見ることもなくなり、「普通」といった状態になりつつあるように感じる。

 この状態は、40歳代以上の「さびしさ」といった感覚や感情に変化をもたらしていると思う。

 つまり、自分だけが、独身者では、無く、今や同世代に多くの独身者がいるのだから、他者との比較による「さびしい」といった感覚は消滅し、ごくごく当たり前のこととして受け入れやすい状態になってしまうように思う。疎外感や不幸感も薄れる。

 この状態は、社会にとっては、良いのか、悪いのか?と考えてとき、「悪い」ことだと思う。

 次世代に子孫を残すことなく、途絶える社会だからだ。

 どうして、こうなってしまったのだろう?時代のせいだけど、批判を覚悟で述べるとすれば、具体的には「女性の社会進出による活躍」だと思っている(たんなる酔っ払いの戯言です)。

 男性と棲み分けできていたところ、崩れてしまった。
 これが、一握りの優秀な女性には、多くの富をもたらしているが、皮肉にも、一部の女性が困窮し、不幸の原因になっているように感じる。

 本当に、余裕のない社会だ。

 明日も、がんばろう!
 
 


 

津軽半島の龍飛崎まで行ってきた。

 仕事や日常生活に疲れ、気分を一新したくて、一週間前に、青森県津軽半島龍飛崎までドライブしてきた。
 だいたい2カ月位前から、何気なく計画していて、仕事も日常生活も何とかやりくりできたので、ためらいを振り払って行ってきた。

 かれこれ、10数年ぶりに行った。ルートも当時とほぼ同じ。

 当時とは、いろいろ変わっていた。太宰治の文学碑の場所が変わっていたり、旧日本軍の遺構が撤去されてさびしくなっていたりと、何か、以前の方が良かったなぁというのが率直な感想だった。

 それから、「龍飛・義経マラソン」と日程が重なってしまい、海沿いの景色よい道路をドライブできなかったのも、非常に残念だった。
予め、把握して計画を立てておかなかったのが悔やまれるが、そこまで、意識を巡らせることは、ちょっと難しい。運が悪かった。

 しかしながら、総じて、龍飛崎まで行くという目標を達成できたので、良かった。
 つぎは、下北半島かな。

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