やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

愚痴は言ってはならぬ!だから書く!

 今日の失敗は、ちょっとした気の緩みから、上司に対する愚痴を言ってしまったことだ。
 
 気の置ける人と思って、つい、うっかり一言、二言グチってしまった。
 
 聞かされる方も、「付き合ってられない」とばかりに、「じゃぁね!」っとばかりに、そそくさと、どこかに行ってしまった。

 シマッタ!と思いながらも、些細なことには変わらず、そして、自分の至らぬ点を再認識できたので、よかった。

 でも、愚痴は、どこかで、出すべきだと思っている。
 聞かせれたり、読まされたりする方は、嫌な思いをするとは思うけど、その人の内面と潜んでいる社会の問題を見ることができるからだ。感情の行為だ。

 本意でない笑顔、ことなかれ主義、ご都合主義の方が、自分は、もっと嫌だ。

 空気を読むことが苦手なんだな、僕は。




 

人生とは?なんて考えて、気分がへこむ

 今日、サービス残業のしすぎで、上司から注意された。
 仕方がないのは、上司も、分かっていて、なんとかしたいのだか、その上のお方が、困ったお方。

 残業するなと言っておきながら、仕事を増やす、張本人。

 あなたのオーダーする業務の目的はなに?

 理解できない、僕だけでなく、皆、思ってる。

 そんなとき、人生とは?なんて考えだす僕がいる(40歳過ぎると急に悩むんだよ)。あんまり、馬鹿バカしくて逃避的思考が顔をのぞかせる。

 やばい、効率が落ちる!

 無心だ! 要領良い手順を見つけ出せ! って無理やり、がむしゃらモードにしてこなしたものの、未了。
 (このあたりが、できる人間との違いなんだろうな)

 ぐっすり、眠って、とにかく今は、根性だ!あしたがんばろう!


 

掲示板サイトに翻弄される

 今も、婚活中も、掲示板サイトを良く見ていた。
 すごく後悔するのは、婚活中で、年齢が40歳過ぎてから、婚活サイトを見始めたことだ。

 とき、既に遅しだった。これが30歳代中盤だったら、とどんなに思ったことだろう。

 この掲示板サイトだけど、結構、マトモだなぁと感じるのは、2chで、片寄りが激しいのは、発言小町のような気がする。
 発言小町の内容は、主に女性が投稿しているだけあって、女性の考えの傾向を知るのはよいかと思ったら、男性(私)としては、気分の悪くなるものの方が多かった。思いやりに欠け、上から目線が多い。読売新聞の人生案内の回答内容と比較してすごく感じる。

 しかし、焦っていたりして、心の状態が尋常でないときは、本当に翻弄されて、掲示板を眺めては、落ち込んだり(2chでは、落ち込むことは少なかったが)、自信を失い欠けた。

 これが、失敗の原因だと確信している。
 やっぱり落ち着いて、自分の心の声を信じるのが一番良いと思っている。
 混乱や取り乱しているときは、できる限り休むこと。

 と感じる今日。

20年間、何してたんだろう・・・

 元旦、ふとNHKBSを見たら、「映像の世紀」が放送されていた。
 約20年前の作品とのこと。
 そういえば、当時、観たなぁなんて懐かしく思っていたら、ふと、僕自身、20年間、何をしていただろうか? 何かをなしえたのだろうか? 自分の人生を活きていたのだろうか? と自問自答し、落ち込んでしまった。

 ただ、ぼんやりと、家族や、職場の上司に操られていただけで、つまらない人生だったなと。

 でも、一応、健康で定職も有り、生きているから良い方なのか?とか。

 やっぱり、自身の望む、夢とか目標とかないと駄目だよなぁ、とか思う。

 学生時代は、勉強、部活、家業、に忙しく、あまり考えずに就職し、そして、仕事に忙殺されて、まとまった時間がほんとうに無い。(一度、比較的自由になる職場に移ったけど、すぐに家庭持ち職員への配慮から、異動させられたし)

 なんだか、空しいなぁと感じつつ、できることを見つけて、コツコツと日々を過ごし、夢を見たいと思う今です。

 自分を慰めるのは、ブログの目的になってしまったなぁ・・・。


 

映画 杉原千畝を鑑賞して

 映画 杉原千畝を鑑賞した。
 杉原千畝のことは、テレビとかで度々紹介されて知っていた。

 彼の行ったことは、第2時世界大戦中に、外交官としてリトアニアに赴任し、外務省の決まりごと(内規)に反してユダヤ難民に日本通過ビザ発給し、その結果、多くの命を救ったというもので、その勇気ある行動に感動した。

 ここで、思うのは、「法と正義」ということについてであって、「法」と「正義」は分けて使うことからも、別物であって、どちらが優先されるべきものなのかな?ということある。
 本当は、別物であったとしても、限りなく、「同じに近いもの」であってほしいけれど、戦時中の状況で、こうも乖離があった場合、「正義」を選択するには、本当に勇気がいることだった思う。
 ここで救われた命が、未来にわたって続いていき、その結果、日本の国益の一助となることを思えば、彼は、立派に外交官として職務を果たしたと思う。

 残念なことは、外務省がこの功績を認めようとせず、ウィキペディアによると、2000年にようやく認め、名誉回復したようである。
 もっと早期に対応していれば、もっと対外的に日本の立場を高めることができたのに、外務省は、本当に国益にかなう組織なのだろうかと思った。




 

あめましておめでとう

 2016年が明けた。
 30代後半から、全然うれしくない。

 人生におけるいイベントを経験していないからだ。

 他人のせいにしているけど、やっぱり、自分自身に課題があるのだろう。

 仕事以外の自身のための「できる」ことや、「したい」ことを大切にして、ひとつひとつ叶えて、ゆくゆくは、大きな夢をみたい。

 40代中盤で、こなこと書いている自分って・・・。

 精一杯生きよう。

 今までだって精一杯生きてきた。とにかく質を変えるのだ。我儘になるのだ。

 ひとに操られるのは、もうまっぴら!

公務員とかの退職金制度は、社会を歪めていないか?

 公務員とか退職したときにもらえれる退職金は魅力だけど、重過失で懲戒免職になるともらえないらしい。

 退職金の算定は、勤務年数に応じて増える仕組みになっているようである。

 その勤務時に重過失があった場合、過去に、いわば積立てたように見える部分も消滅してしまうらしい。
 このことは、僕には、理不尽に思えるし、職員の行動を抑制的にさせ、マイナスに作用させているように思える。

 だいたい、重過失を行ったのだから、退職金が貰えなくて当然という考えもあるけれど、今の世の中、何が「重過失」になってしまうのかわからない。それに明らかに「運」もある。例えば、冤罪で捕まって、数年後に無罪が判明するといった場合などで、後から当人が満足する充分な補償や手当はなされるのだろうか?

 そして、今は、独身者が多いといった事情もある。在職中に死亡してしまったら、本当に損ではないか。遺族に支給されるといっても、本人がその意志で使えるからこそ意義があるものであり、死んでしまったら終わりである。

 退職金なんて人質をとるような仕組みはやめた方がよいと思う。通常の給与のみでよいと思う。

 不運にも恩恵にあずかれなかった人の反社会的な行動を助長しないためにも。
 また、退職金をもらった人の、違法行為を抑制するためにも(田舎の高齢者の方は、軽度の酒気帯運転はどうでもよいよう思えるようになるのではないだろうか?無職だし、過疎で轢かれるような人は歩いていないし、空家だらけだし、お金もあるし、それに寿命で死期も近いし)。ひいてはこの低下した道徳意識が、現役世代に浸透し、不幸を生む連鎖につながると思う。

 以上は、新聞報道の地方公務員の酒気帯運転で懲戒免職の記事を読んで、ふと、思った次第です。