やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

歯が”しみる”というか”痛い”というか

 もう、3年くらい前くらいだと思うけど、歯医者にいったら、「摩耗してますよ、歯ぎしりもあるでしょう」と言われ、そのうち「しみる」みたいなことも言われた。
 その時は、虫歯じゃないから、治療もしなかったけど、いまは、揚げ物や固いものを食べれなくなってしまった。”しみる”というか”痛い”というか、そんな感じ。

 歯医者でマウスピースを作ろうかとか、市販のものを買って使うかと迷いつつ、とりあえず、「フッ素」が高濃度で入っている高い歯磨き粉に変えてみた。

 すると、けっこう、緩和されました。
 これは、凄いし、うれしい。

 やっぱり、高いなりに効果はあるんだと、思ってしまった。

 あとは、キチンと歯を磨いて、睡眠時間を多くとることだと、自分で勝手に思っている。
 歯も生きているんだし、休ませなくてはいけないんだと、痛感。

 世間一般でも、睡眠が大切だと何かと言われているしね。
 
 生活習慣を改善せねば。

同僚との軋轢4

 お客様相手の仕事で、法令に反した対応をして、お客様に実害を出しそうになった話のつづき。

 僕は、もう僕自身の仕事で手一杯だから、傍観状態だけど、直接の担当は、相変わらず滅茶苦茶な対応。
 お客様との応対も、とりあえずごまかしている感じ。そして、後で「訂正すれいいや」的な感じ。

 まだ、応対したお客様も、5人に満たないから、軌道修正は傷口も浅くて済む。
 
 とても可哀そうだなと思うのは、その担当(正担当)の部下の副担当。

 その滅茶苦茶で法令に触れるのでは?と思える業務内容につき合わされ、さらに「なんかおかしいな?」と感じたお客様からの不信感を持たれた状態で、対応しなければならない。

 とうとう副担当が我慢の限界と、お客様と矢面に立たされる緊張から、正担当に、「お客様にどう対応したらよいのですか?」と質問したら、
 正担当「・・・・・」 
 何か説明しているつもりというか、「ふり」をして、結局は何をしたいのか、本人も分かっていない。

 ただ、正担当が、多くの顧客を抱えている同業他者の業務手順を教えてもらったら、これまた変な業務手順と無理のある理屈で、とても参考になるものではなかったとのことで、僕も、その意見には賛同した。その同業者は、弁護士に相談しつつ仕事をしていると主張しているが、相談の仕方がよろしくない。予め自分の都合の良い回答が返ってくるように仕向けて相談しているのだ。

 リスクを隠しつつ、弁護士に相談することは、意味があるのだろうか。

 それに引き替え、当方は、想定されうるリスクと、関係しそうな法令をできる限り調べて弁護士に提示し、相談した。
 そして、その回答から、業務手順を導き出した。

 いざ、業務マニュアルを作ろうとしたら、正担当は、「この業務手順どおりにはしたくない」と言ってやらないし、覚えない。
 だけど、お客様は待ってはくれないし、正担当自身も対案となる業務手順は持っていない。

 だから、お客様との応対も、なんだかよく分からないおかしなものになる。
 それに付き合わされる副担当の不安と、緊張が積み重なっていって、耐えられなくなりそうな感じ。

 給料を貰っている身として、これでよいであろうか?
 あなたの趣味をする場ではないのだ。
 
 やりたいことやって、給料を貰えるのは、幸せだとおもうけど、ここは、そういう職場ではない!

 このままでは、信用を失ってしまうと危機感をもっているが、なんか、周りを見渡してみると、全てといっていいくらい、同業他社が滅茶苦茶な状態らしくて、唖然としている。

 だけど、何れ(10年以内に)悪い記事として新聞に載ると思います。




 

巧味家で味噌ラーメンを食す(宮城県大崎市鳴子)

 美味しかった。
 以上。

 たぶん、この店だったと思う。
 僕が、20歳代の頃、当時、努めて、いた福祉関係の職場の同僚と飲食した。

 鬼首でのスキー帰りに、休日の楽しさの振り返りというか、まぁ、「1日の締め」というやつかなぁ。

 その同僚は、もう他界しており、僕は、彼の年齢を追い越してしまっている。
 当時は、若さゆえなのか、楽しくも、ウザくもあり、今になっては、もっと密度の濃い生活をするべきであったと、ふと、後悔している。

 そんな、店に約20年ぶりにいったつもりであったが、「ここだったけ!」と思ってしまった。

 まったく思い出せないし、記憶にもない。
 ただ、この場所?にあった店、なのだ。

 月日の流れに、涙して、食した味噌ラーメンであった。

 そして、美味かった。

 お店は、朽ちつつあるが。

 地域経済に寄与したい。

同僚との軋轢3

 同僚が任せれている業務を処理するのに、法令違反の恐れがあると助言して、人間関係が非常に悪くなっていた。
 「仕方ない」と割り切りつつ、その様子を見ていた上司から、「口出しは控えるように」との指示を受けてしまったものだから、仕方なく傍観していた。
 そしたら、客とトラブル寸前の状態になってしまい、結局は、しどろもどろの応対で、客は、面倒くさくなり、違和感を感じながらも応諾されたようだから、なんとか収拾したようだった。

 しかし、同様な用件を持つ客は、いつやってくるかわからない。
 同僚は、ここで初めて事の重大さに気付いたらしく、深刻な表情で「処理方法」についての助言を求めてきた。

 「残念なら、僕には、対処できない」と返事をせざるを得なかった。

 確かに、僕の心には、“わだかまり”はあるけど、それが理由ではない。

 割ける時間がないのだ。

 僕には、僕に任された仕事がある。今は忙しい。これよりも、同僚の仕事を優先させる分けにはいかないのだ。

 そんなこんなで、横目で眺めていると、更にグチャグチャになっている。

 どうする?こんなんでお客様と対応できるのか?
 上司が、気づいたときには、悲劇のときか。

 もう、顧問弁護士先生に相談してみては? と、アドバイスするのがやっとだった。

 僕を軽んじた、報いなんだろうな。
 だけど、見ていて、少し辛い。


 

座間市9遺体事件を知り凄く気持悪くなる。

 心が弱った人たち次々と殺害していく。
 そして、犯人の白石は、おそらく、恍惚感を味わって、満足している。

 僕は、この手の犯罪が、凄く、凄く、凄く、凄く、凄く、許せない。

 心が弱った人と知り合ったら、医療機関や、行政に繋ぐ。
 
 これしかないと思う。

 死刑よりも重い刑は、無いものだろうか?

 彼には、拘置所内において、死の恐怖を存分に味わうことを望む。

婚活で相手女性の食事代を男性が負担しないワケ

 理由は、簡単です。
 男性側が、相手女性を評価して、「おごる価値なし」と判断したからです。
 お断りの意思表示を下したまでです。

 今日、フジテレビ系列の番組ノンストップ(午前9時50分から)で、「婚活の面接で、相手女性の食事代を負担しないのは、非常識である」といった話題が取り上げられており、千秋と、大神いずみ他が、”そうだ!、そうだ!”と主張していたのに対して、カンニング竹山だけが、中立の意見を述べていた。
 僕は、経験者として、カンニング竹山の意見に賛同したい。
 もう一方の相手側男性の主張もない状態では、判断はできない。

 婚活において、男性側が相手女性の食事代を負担するというのは、すごく常識だと思っている。
 しかし、中には、どうしても、「負担したくない」と思わせる女性(礼節を欠く)とも、面接してしまう場面がある。
 当然、男性側としては、二度と会いたくない。

 面接を終了してから、後から伝えるよりも、その場で、伝えた方がよい。そして、できるだけ、相手を傷付けずにだ。

 面接を終了してから、男性側から、お断りを伝えると、どうも、伝統的に「男性側が断るのは失礼」といった感覚があるらしく、「断る」行為そのものが、失礼と捉えれらてしまうからやっかいだ。(昔、男性側がオナラをして嫌われようとしたいうのは、その名残か)

 そうしたことを考えると、「奢らない(負担しない)」という行為で、伝えた方がよいのだと、・・・・。僕は、婚活を止めてから、(当時、疑問がありつつ嫌々負担していたから)気づいたし、ネットにもテクニックとして載っている。

 深く考えてみると、この意識のズレは、30歳代後半以降の女性の方に、マイナスに作用してくると思う。
 ずーっと、男性側の評価を下げたままにしていて、女性側自身の振舞いを改めるきっかけに気付かないという点において、そしてなにより、出産がある。

 男性側においては、相手女性を評価して、「好き嫌い」を上手く伝えられる人が、結局、上手く行っているようであるし、男性側が無理して結婚した場合は、聞こえてくる限り、離婚に至っている(僕の周りでは、持って7年間となっている)。

 恐ろしく、時間は、残酷である。
 やり直しがきくという点で、やっぱり、結婚は、20歳代後半が良いと、心の底から思う。

イナゴの佃煮を食す

 先日(金曜日)、職場のオバちゃんが、イナゴの佃煮を持ってきた。
 自分で料理したそうな。
 なつかしさよりも、ビックリの方が先に来ました。
 「まだ、この食文化が残っていたんだ!」と。
 
 僕が、子どもの頃は、宮城県北部の店先でもふつうに売っていたが、もう20年以上見たこともないし、ましてや、前に食べたのも、おそらく、それ以上前のことだった気がする。

 当時、隣の学区の小学校では、田園地帯だったこともあり、学校を挙げてイナゴ取りをして、業者に売って教材購入費の一部を賄っていたし、店先では、“イナゴ買います”なんていうチラシも目にしたものだった。

 大手スーパーの進出と、農業の機械化などの時代の移り変わりで、すっかり廃れたものと思っていたし、記憶の中からも、無くなりつつあった。

 と、感慨にふけりながらも、やっぱり「見た目も、気持ち悪いし、ちょって食べるの遠慮したいな」と思いつつ、2匹ほど、食べました。

 なつかしの味がして、普通に美味しかったです。

 職場の若い方々は、皆、顔をしかめてましたが、30代後半より上の世代は、イナゴの佃煮をつまみつつ、幼少期の思いで話に花が咲いてました。

 イナゴさんに感謝です。

 写真は、ティッシュの上のイナゴの佃煮で少しグロいです。皿に盛るとそれなりに映えますが。
 ネットで検索すると、結構、抽出されて、なんだか少し「ほっ」としました。

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