やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

会議で発言を求められ戸惑う(自分への戒め)

 今日、重要な会議があった。
 予め、発言を求められる可能性があったから、勉強していた。が、しかし、だ。

 「ここは、当たり前のことだから聞かれないだろう」と思い、特に発言案を持たなかったところがあった。

 そしたら、思いっきり直撃してしまった。
 それも、相手は、僕に発言の機会を与え、アピールする場面を作ってあげようとの親切心というか、配慮だったようなのだ。

 質問の内容は簡単だし、答えも「簡単」な筈なのだ。

 ところが、頭では分っているのだけれども、「説明できる文章」が出てこない。焦りが焦りを生む状況で、皆からの冷笑ものだった。

 とっさに、説明や、理解を得られる話ができるというのは、一種の訓練だと思っている。
 常に電話で、いろいろな客とお話ししている人は、否応なく鍛えられていると思う。

 僕は、残念ながら、今の職場では、あまり電話には出ないし、かけもしない。
 以前よりもするようにはなっているけど、必要性が乏しいからだ。

 だからこと、できることなら網羅した回答案とか発言案を前もって用意しておく必要があったのだが、その箇所は、油断した。

 しかし、今日は、本来、発言者は違う職員の筈だった。それが、急に、僕に花を持たせようとして、結局は、悪い方にでてしまった。

 本当に期待に応えらられなくで申し訳なかったと思う。
 すごく、簡単なことを油断しからこそ、すごく悔しく、精神的に、情けない気持ちでいっぱいになっている。

 なんか、前にも、似たようなことがあった気がする。
 二度と繰り返してはいけない。絶対に。 
 
 

今年も”3月11日”を過ごして震災復興について考える

 昨日は、3月11日。
 東日本大震災から7年経った。
 震災発生時は、当時勤めていた職場の上司と、上手く行ってなかったこともあり、気分が滅入り休暇を取って、家で寝ていた。
 そして、ものすごい揺れが長く続いた。
 その後、自動車のナビ付TVで襲い来る津波を食い入るように見ていた。
 分けも分からず災害復旧の仕事に従事する日々だった。

 今は、主に被災者の方を相手に仕事をしている。住宅建設関係の仕事をもらっている。

 テレビで放送されるお亡くなりになった方やその遺族の頑張りには、頭がさがるし、目頭が熱くなる。
 思わず、昨日、追悼と献花に行き、霊を慰めにいったところだ。
 
 テレビも、感動や共感を呼びやすいものしか流していなかった。

 住家被災のからの復興関係については、近頃は、負の側面が色濃くなっている。
 被災者が他の被災者に対して、支援の不公平さの苦言を呈しているのを耳にするし、業者間の利権(被災者)の奪い合いも目にする。
 
 こちらも異議を挟むと、「こっちは被災者なんだ!配慮されるのは当たり前だろ」なんて、平気でいう。
 異議する方が被災程度の甚大な被災者で、相手側が程度の軽い被災者であったりするらしい場合もよくあるが、「お構いなし」と言った感じだ。

 結局は、程度の軽い被災者が、焦る必要もなく、ゆっくりと行動し、一番の徳をしているような気がしてならない。いわゆるゴネ得。

 お亡くなりになった方の遺族や、甚大な被害を受けた方の多くが、ほんとうに一生懸命に頑張って復興しているというのに、なんかやるせなさを感じる。

 でも、たぶん、人間の本性ってこんなもんだろう。

 良心ってなんだろう?


 
  




 

クレジットカードがゴールドになった。

 なぜか、あるとき、突然、ネットでのクレジットカード決済ができなくなった。
 理由は分からない。メッセージはセキュリティーコードが違うとのこと。

 何度カードを見直しても、合っている。
 恐る恐る再度決済手続きをすること数回。
 しかし受け付けてくれない。やばい、回数制限を超えたか!?

 やむなく、今回の決済方法を銀行振込に変更し対処した。

 その後、「自分の信用情報がおしなことになっているのでは」との不安が生じた。
 でも、心あたりはまったくない。誰かにカード情報を盗まれたか?とかいろいろ考えつつも、コールセンターに問い合せるなどの行動はしなかった。

 そしたら、翌日か、翌々日に郵便局の配達員が、全く身の覚えのないクレジットカートを届けてくれた。
 
 開封したら、なんとゴールドのクレジットカードではないでしょうか!
 よくみると、セキュリティーコードも違っている。

 だから弾かれたのだと安心した。ただ、そのとき、僕は、「ゴールドのクレジットカード」の意味するところが分からなかったから、「どうして変なことをするんだ」と少しイラついた。

 後で、ゴールドカードの意味を知ったとき、その特典に少しうれしくなったのと、ゴールドに格上げされるまでに、16年間も要したのだなぁと
今、しみじみと思い出に浸っている。

 もう、現金の時代ではないのだなぁ、と本当に感じる。
 

 
 




 
 
 

東日本大震災の復興支援事業での不都合なこと

 もうすぐ東日本大震災から7年が経つ。
 テレビや新聞で被災者の頑張っている姿が繰り返し繰り返し報道され、ときには「弱者」として、「もっと支援をすべき」といった風潮で報道されている。
 
 僕は、今、震災復興事業でお仕事を得ている分際であるから、被災者の方は「大切なお客様」ではあるんだけれども、どうしても、道徳的に嫌だと思わずにはいられないことが多い。本当に多い。
 「折角だから、もらえるモノやお金はもらってしまおう!」とういう”被災者特権”をフルに活用している者が多い。

 早くに、再建を果たし、1度限りの補助金・支援金とかを受給した者は、被災者特権を失っているけど、被災程度の軽い者ほど、急を要しない被災状態だったからか、被災者特権を保持している者が多い。

 そして、粘って、ゴネて、居座っているものほど、最後に被災者特権を活用している者ほど得をしているようなのだ。
 
 震災後7年経過している。その後の風雨やら、家族構成の変化やらで環境が変わっている。
 その変化にともなう費用負担に、被災者特権を活用しているようなのだ。震災とは、もう関係ないと思われる状態なのにだ。

 早期に支援を受けて復旧した被災程度の重い被災者からは、当然、不満がでているし、仕事を頂いている僕らも疑問や不平を抱いている。
 おそらく、相当な税金が投入されていると思うが、もう見直す時期なのではないだろうか?

 どうして、メディアはこういったところを取り上げて報道しないのか不思議だ。
 CM収入が落ちるからか?



 

高齢化の波を感じる

 仕事で、お客様に呼ばれて営業にいった。
 農業を営んでいる70歳代の夫婦で、家は老朽化が進んでいる。

 修繕について提案するも、「あと数年で我が家は終わるから、放置してるんだ」とのこと。
 子どもは成長して関東に居を構え、後継者になるつもりはないという。

 行く末に対しての諦めの気持ちが漂う中、やはり、外からの冷気が入り込むのは堪えるから、なんとかして欲しいとのこと。

 営業していて、他人ごとではないなと強く感じつつ、現状では、行く末の見通しは、僕の方が真っ暗だ。

 なんにせよ、子どもがいるというのは、カタチを変えつつ、継ぐ者がいることには変わりはない。
 
 お客様のご夫婦については、まだ、子どもや孫が、その気になれば後継者になる可能性があり得る。ゼロではない。

 ただ、ただ、「いつかは何とかしよう」と考えつつ、時は無情に過ぎ去っていく。
 気が付いたときには、もう遅い。
 お金では、解決できないのだ。お金の魔力が感覚を狂わせるのか? それとも、教育による洗脳か?いや、両方か?

 否応なく、高齢化の現実を経験せざるを得ない。

 自分の人生である。自身で流れをつくりだし、充実した高齢化と次世代に継承できる状態を創れるように努力したい。
 たとえ報われなくても、自分の行動を自分自身で「褒められる」ように目指したい。


 

読売新聞記事『「男女不平等」幸せですか』の感想

 僕(男性)としては、今の社会は、男女不平等になっていると思っている。
 そして、経験上、どちらかというと、男性の方が不平等(負担を強いられているよう)に思える。
 
 僕が経験した仕事で感じたことは、医療や介護の業務ではなく、「糞尿」を扱う仕事は、女性達は給料をもらっているのに団結して平気で拒否し許され、結局は男性が「これも仕事だ!」と業務にあたったこと。
 災害時の呼び出しに対して、夜間は「女性だから配慮して」と主張され、職場は認めてしまっていたこと。
 社会制度的には、婚姻関係が最たる例で、離婚に際し、子どもの親権争いでは、男性は、女性には勝てないのが一般的な常識になっていること。
 人事異動では、女性は、地域、地区、場所、職場が配慮されるのに対して、男性は、全く配慮してもらえない。なのに、給料と昇給は同じ。
 離婚では、婚姻期間中に築いた財産は、実質的な内助の功は無いのに共有財産とみなされ、半分は相手方の女性に持っていかれ、さらに解決金だか慰謝料だか分からないが、割増でもっていかれること。
 最近の例では、熊本市議が強行した子連れ議会行為について、自分の子どもであるけれど「弱いもの」を人質に取って行動することが、ある程度、主に同性からだとおもわれるが理解を得ているのに対し、電車の女性専用車輛の居座り行為をした男性達に対しては、非難が多いこと(迷惑を被った方々が多数だったからだと思うけど)。

 そんなこんなで、やっぱり結婚はできれは、しない方がよいとさえ思えてしまう。
 どうして、さらに強固な「不平等条約」を結ばなければいけないのか分からないけど、世間一般の「常識」かなんかは分からないけど、結局は結婚してみたいものらしい?

 思うに、日本国では、女性が現状に甘えているんだと思う。
 仕事でも、「男女平等」で夜勤も命ぜられてもいとわないといった女性は、同性から嫌われ疎まれ、浮いていた。けど、出世もしたし、すてきな「お母さん」になっているし、僕もそんな女性が好きだった。そして、彼女は、もうすぐ管理職になるらしい。

 読売新聞の記事では、北欧のノルウェーが男女平等が先進的で高福祉だなんて書かれ方をしているけど、なんといっても、石油産出国(北海油田)であることが大きいのではないだろうか?
 そこから得られる冨を、男女平等に要するの社会的コストと、幸福祉に要するコストに充てているだけのように思えた。
 記事では「(女性の貢献度が)北海油田が産出する石油よりもGDPに貢献している・・・」とあるけど、やっぱり石油あってのものでしょうよ!
 資源を売って資金を得て、男女平等の政策サービスやら、高福祉サービスに充てているんだと思える。

 それを日本に当てはめるのは、無理があるんだけど、「女性」は都合がいいから利用するけど、男性は「黙するのが美徳」だから何も言わない。
 つまり、やられっぱなしということ。

 怖いのは、じんわりと、痛みを感じさせずに社会を蝕んでいくことだと思う。
 そして、気が付かないまま、社会制度は、混乱と秩序の崩壊に進む。

 これが一番最初に出るは、性風俗だと思っている。

 酔っ払いの戯言でした。


 

「特選 海鮮丼」を食す(宮城亘理町 どんぶり亭まつもと)

 40歳代中盤の今の僕にとっての楽しみは、食べることしかない感じ。
 そして、悩みは肥満(もっとも、他にも悩みはいっぱいありますが)。

 またまた、宮城県亘理町にある「どんぶり亭まつもと」に行って食してきました。
 この店は、あまり有名ではないけれど、満席で、次から次へとお客さんが入ってきて、店を切り盛りしている夫婦?は、「大忙し」といったところです。

 そして、今回は、「若いカップル」と思しき方々もいたりして、なんかうれしくなりました。
 店の佇まいとしては、あまり綺麗とか、お洒落とか言う訳ではないけれど、なんか、興味そそられる佇まいです。
 駐車場も、6台くらい駐車でき、たいてい仙台ナンバーと他県(関東地方が多いような気がする)ナンバーの客のクルマが駐車している。
 今日も他県ナンバーのクルマが2台駐車していた。おそらく震災関係なんだと思う。

 そんなこんなで、「特選 海鮮丼」(1,200円税込)を食べました。
 おいしかったです。本当に!
 量もちょうど良いし。

 知る人ぞ知るといったお店です。
 ちなみに今回で、4回目の訪問です。

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