やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

職場を去るにあたっての「お別れのハンカチ選び」

 3月末で職場を離れることになった。
 週休日は、とてもお世話になった女性職員への別れの贈り物として、ハンカチを買いに仙台三越に行った。
 女性向きのハンカチというものがよく分からないから、店員さんにアドバイスをもらいながら求めた。
 
 すてきな絵柄しかなく、迷いに迷った。
 ”あの人には、これがいい”、”この人には、あれがいい”とか選んで行ったら、感情が高ぶりながらも、ふと思った。
 「はて?僕らしさってなんだろう!」と。
 「僕が決めつけて押し付けるのもどうだろうか」と。

 そして、「気に入ってくれなかったら、残念だなあ~」とも。

 結局は、僕が気に入ったハンカチを贈ることにしました。
 贈られた方が、気に入ってくれなくても、それはそれで仕方がないと。
 もちろん、奇をてらったようなものではない。

 やっぱり、僕の性格というか、好みを表現したいと思いました。

 独りよがりかもしれないけど、僕をチョットだけでも、思い返してもらえれば良いかなと。

 これがベストの選択だと信じているし、これが僕だ。
 「いい趣味している」と思っていただけると嬉しいな。


  
 

東北大の旧農学部敷地の桜並木が伐採されて悲しい

 前にも書いたと思いますが、商業施設建設のため、東北大学の旧農学部の県道沿い桜並木が伐採されて無くなってしまっている。
 月に1度、通るか通らないだけど、春のささやかな愉しみだった。

 なんで、世論が騒がないのか不思議だった。
 街路樹の欅の伐採ではすごく騒ぐのに。

 「市民団体なんて存在は、インチキだな!」なんて感じてしまいます。

 なんか、空しい。

 

次の職場を斡旋され、意気消沈

 今の職場については、仕事の内容や待遇にそんなに不満はなかったものの、手順の不備や、特異な客しか残らない状態になってしまい、この仕事は、この辺で辞めることにした。
 それで、次の職場のお願いしていた。お金については、贅沢したい時期はとうに過ぎ、恐らく年金もそれなりに納めていたからなんとかなるだろうということで、とにかく残業が少なく、自分の時間が取れるところという、なんとも傲慢というか身勝手な要望を出していた。

 そしたら、以前の勤務していた事業所の別の部署を斡旋されて驚いた。
 そこは、勤務時間がブラックで、超過勤務もカット状態。そして、数年前(4年前?)には、パワハラで、自殺者まで出ている。
 一応、労働内容は、改善されたかもしれないが、勘弁してくれ!って心の中で叫んでしまった。
 そこの系列は、いつも、一時的には、改善するけど、すぐに元どおりになってしまう。
 そして、決まって、独身の30代、40代の男性しか集めていない。

 とにかく、職場環境が嫌なのだ。現役の職員のツイッターでのつぶやきも、悲鳴のようだ。

 結局は、子どもがいる家族持ちは配慮するけど、独身者や子無家族持ちは、使い捨てにするよってことだな。
 世間一般、こんなもんだけど、なんかやりきれない。

 だからといって、拒否する勇気は無い。僕の人生、長かったらどうしよう? お金に困ってしまう。

 「ふざけるな!」という言葉が、頭の中で繰り返し叫ばれている。

倫理ついての「巨匠」と「最後のアイドル」の取り上げられ方の違い

 片や愛人、もう一方は不倫。
 どちらも倫理については、よろしくない。

 だけど、叩かれるのは、「最後のアイドル」の方のみ。
 社会的規範なんていうのは、実は”あるようでない”と感じてしまう。
 要は、芸能メディアは、怖くない弱い方を叩くべく、群がって利益を上げているだけだと思う。
 強い方には、群がるけれども、丁寧に機嫌を窺いながら扱う。
 結局、世の中、そんなもんだと思うけど、

 根は、婚姻制度と家族制度にあると思う。

 時代とともに変えていく必要があるのに、変えられないといった感じ。

 いっそのこと、倫理感、道徳感が崩壊してしまった方が、構築しやすのではないかと思ってしまう。

 そういう意味では、芸能人に方々には、頑張ってほしい。

会議で発言を求められ戸惑う(自分への戒め)

 今日、重要な会議があった。
 予め、発言を求められる可能性があったから、勉強していた。が、しかし、だ。

 「ここは、当たり前のことだから聞かれないだろう」と思い、特に発言案を持たなかったところがあった。

 そしたら、思いっきり直撃してしまった。
 それも、相手は、僕に発言の機会を与え、アピールする場面を作ってあげようとの親切心というか、配慮だったようなのだ。

 質問の内容は簡単だし、答えも「簡単」な筈なのだ。

 ところが、頭では分っているのだけれども、「説明できる文章」が出てこない。焦りが焦りを生む状況で、皆からの冷笑ものだった。

 とっさに、説明や、理解を得られる話ができるというのは、一種の訓練だと思っている。
 常に電話で、いろいろな客とお話ししている人は、否応なく鍛えられていると思う。

 僕は、残念ながら、今の職場では、あまり電話には出ないし、かけもしない。
 以前よりもするようにはなっているけど、必要性が乏しいからだ。

 だからこと、できることなら網羅した回答案とか発言案を前もって用意しておく必要があったのだが、その箇所は、油断した。

 しかし、今日は、本来、発言者は違う職員の筈だった。それが、急に、僕に花を持たせようとして、結局は、悪い方にでてしまった。

 本当に期待に応えらられなくで申し訳なかったと思う。
 すごく、簡単なことを油断しからこそ、すごく悔しく、精神的に、情けない気持ちでいっぱいになっている。

 なんか、前にも、似たようなことがあった気がする。
 二度と繰り返してはいけない。絶対に。 
 
 

今年も”3月11日”を過ごして震災復興について考える

 昨日は、3月11日。
 東日本大震災から7年経った。
 震災発生時は、当時勤めていた職場の上司と、上手く行ってなかったこともあり、気分が滅入り休暇を取って、家で寝ていた。
 そして、ものすごい揺れが長く続いた。
 その後、自動車のナビ付TVで襲い来る津波を食い入るように見ていた。
 分けも分からず災害復旧の仕事に従事する日々だった。

 今は、主に被災者の方を相手に仕事をしている。住宅建設関係の仕事をもらっている。

 テレビで放送されるお亡くなりになった方やその遺族の頑張りには、頭がさがるし、目頭が熱くなる。
 思わず、昨日、追悼と献花に行き、霊を慰めにいったところだ。
 
 テレビも、感動や共感を呼びやすいものしか流していなかった。

 住家被災のからの復興関係については、近頃は、負の側面が色濃くなっている。
 被災者が他の被災者に対して、支援の不公平さの苦言を呈しているのを耳にするし、業者間の利権(被災者)の奪い合いも目にする。
 
 こちらも異議を挟むと、「こっちは被災者なんだ!配慮されるのは当たり前だろ」なんて、平気でいう。
 異議する方が被災程度の甚大な被災者で、相手側が程度の軽い被災者であったりするらしい場合もよくあるが、「お構いなし」と言った感じだ。

 結局は、程度の軽い被災者が、焦る必要もなく、ゆっくりと行動し、一番の徳をしているような気がしてならない。いわゆるゴネ得。

 お亡くなりになった方の遺族や、甚大な被害を受けた方の多くが、ほんとうに一生懸命に頑張って復興しているというのに、なんかやるせなさを感じる。

 でも、たぶん、人間の本性ってこんなもんだろう。

 良心ってなんだろう?


 
  




 

クレジットカードがゴールドになった。

 なぜか、あるとき、突然、ネットでのクレジットカード決済ができなくなった。
 理由は分からない。メッセージはセキュリティーコードが違うとのこと。

 何度カードを見直しても、合っている。
 恐る恐る再度決済手続きをすること数回。
 しかし受け付けてくれない。やばい、回数制限を超えたか!?

 やむなく、今回の決済方法を銀行振込に変更し対処した。

 その後、「自分の信用情報がおしなことになっているのでは」との不安が生じた。
 でも、心あたりはまったくない。誰かにカード情報を盗まれたか?とかいろいろ考えつつも、コールセンターに問い合せるなどの行動はしなかった。

 そしたら、翌日か、翌々日に郵便局の配達員が、全く身の覚えのないクレジットカートを届けてくれた。
 
 開封したら、なんとゴールドのクレジットカードではないでしょうか!
 よくみると、セキュリティーコードも違っている。

 だから弾かれたのだと安心した。ただ、そのとき、僕は、「ゴールドのクレジットカード」の意味するところが分からなかったから、「どうして変なことをするんだ」と少しイラついた。

 後で、ゴールドカードの意味を知ったとき、その特典に少しうれしくなったのと、ゴールドに格上げされるまでに、16年間も要したのだなぁと
今、しみじみと思い出に浸っている。

 もう、現金の時代ではないのだなぁ、と本当に感じる。