やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

第82回 河北美術展を鑑賞した

 思えば、毎年、欠かさず鑑賞しているような気がする。
 絵の上手い下手はわからないし、日本画と洋画の違いもわからない。

 ただ「気に入った絵に出会えないかな?」といった出会いが楽しみなのかもしれない。

 残念だけど、いままでは、気に入った絵には出会ていないし、今回も、良くできた絵はあるけれども、欲しいと思わせる絵はなかった。

 どちらかというと、何を基準に入選(入賞)とか決めているのか不思議な感じがした。

 作品の出来具合も他と差が無い状況で、同じ作者が、何度もとなると、他の要素もあるのではと思ってしまう(才能がないからそう思えてしまうとは、重々承知ですけれども)。

 結局は、審査員の好みなんだろうけど、コメントにバラつきがあって、そっちの方が面白かった。

 絵とは、描くひとの心の内面や、伝えたい、訴えたい、ことを表現するものなのだろうか?

 だとしたら、気味の悪い絵を描いた人の内面はどうなっているのだろうか?
 描いて発散することで、バランスをとっているのだろうか?

 そう、思わせる絵もあれば、なにも感じさせない絵もあり、多様で面白かった。

 毎度のことだけど、ヒトの持つ色々な性格や個性を垣間見れた。

 それから、作者の男性と女性の構成比に興味をもってしまった。
 多分、女性の方が多いような気がする。

 そんな、女性的な絵が多いといった印象をもってしまう美術展でした。

令和時代の幕開け

 今日、「令和」元年初日である。
 昭和生まれの僕は、いまだに実感がないし、「ついこないだ『平成』になったばかりでしょう?」という気分なのだ。

 思えば、初めて、まともな?職を得たのは平成3年であり、本当にこないだの出来事のような気分なのである。

 ”歳月人を待たず”

 悲しいかな、それから、27年間と少しを経て、僕は実りある人生を歩んでいたのだろうか?

 「はぁ~っ」溜息。

 でも、生きている。生きている。生きている。
 
 不幸にも、ある者は病に倒れ、ある者は事故に遭遇し、帰らぬ人となった者たちを、僕は涙を流しお別れした。

 でも、僕は生きている。健康とは言えないけれど、生きている。

 余命宣告なんてされていないけれど、年齢からして、死はそんなに遠くはないような気がする。
 これから、20年、30年なんてあっという間だ。

 できる限り、やりたいこと、好きなことをしていきたいと思う。
 
 人に少しくらい迷惑をかけても、あまり気にしない。
 だって、いままで、散々、迷惑を掛けられて、後始末をしてきたから。
 そいつら(仕事とか)の後始末こそが僕の「人生」かって思えるくらい。

 だから、そいつらとは、緩やかに距離を取りつつ、離脱する(これが当面の目標、いきなり決別するのリスクがある)。

 年号というものは、時の流れを、人々に強く意識させる「指標」なんだろうなと、ふと思ってしまった。

 西暦では、惰性というか、マンネリ化とういうか、そんな時の流れの知覚が麻痺されてしまう。

 とにかく、充実した人生を送りたい。

昨年まで勤めていた職場を訪問した

 先日、昨年3月まで勤めていた職場を訪問した。
 当時の同僚の方々は、度々、今の僕の職場を訪ねてくれて、心が和んで助かっている。
 
 僕は、僕で、過労で体調を崩してることもあり、どうしても出歩けなかった。
 
 そんな状態であったが、仕事の取引先の担当が急遽、休暇(リフレッシュ)を取ることになり、自分の都合も空いたこともあり、休暇をもらった。

 結構、良くしてもらった職場だったので、挨拶に行くのが礼儀と思いながら、時間が経ちすぎ、流石に1年も経過するのは、行きづらくなるし、悔いが残る。
 いろんな思いが交錯するなかでの訪問だった。
 
 僕の訪問をみなさんは喜んでくれて、ホッとした。案の定、近況報告やら、つい余計なことまで、話してしまったが、皆、当時と変わらず、嬉しかった。

 40歳代後半で、それなりに孤独の僕にとって、「生き甲斐」を築いていくうえで、人との関係は重要になってくる。
 自他ともに尊重し合える人との出会いを大切にしていきたい。


 

ヒトに流されて後悔

今年、最初のブログ記事。
タイトルに反して、マイナス要素は嫌だなと思いながら、躊躇を重ね、結局は、マイナスの内容。

しかたないさ、これが、僕なのだから。

昨日、珍しく、飲み会に誘われた。
メンバーも僕と一緒に仕事をして、苦労を重ねて、結果をだした方々だったから、「飲みたい!」って思って参加した。

飲み会では、食事よりも会話に重きを置くようになっていた。
折角の機会、できるだけ多くの方々とお話ししたかったのだが、一人の方と話し合が弾んでしまって、それで、上役の人だったりするとどうしても、流されて断ち切れない。向こうから、断ち切れるのを待つのみといった状態になった。

しかし、実際は、向こうは、僕が断ち切ってくれるのを待っていた・・・。

この流れと、話の持って行き方。難しと思いながら、今、思うのである、やっぱり「トイレ」を使うべきだったと。

互いに不完全燃焼状態になり、今、溜息をついている。

これもまた、経験。

次に繋げたい。

「独りっていいな」と思い始めてきた

 付き合っていた女性に軽々しく扱われ、どうして続けていく必要があるのだろうかと悩みに悩んでいたら、相手側からキレられた。
 
 当然だと思うけど、相手女性もズルかった。
 僕が、断りづらくする環境を着々と整えていったからだ。

 僕は、とうとう心身に不調をきたしてしまい、「もうどうにでもなれ!」という覚悟で、別れを告げ、周囲から責められ、経済的にも失った。

 でも、そのとき、私的においての全ての重しから解放された感じがして、幸福を感じだ。

 いま振り返ると、する必要のない「我慢」はしてはいけないとしみじみ思う。

 独りになり、自分の感情を素直に出せる状態になり、それに馴染んだその先に、人との付き合いが生まれると思う。
 とにかく、私的においては、我慢はすべきでは、無いのだ。

 我慢は、仕事だけで充分だ。

 この感じを、できれば、20歳代で味わいたかったとしみじみ思う、もうすぐ50歳の僕です。

 年末年始は、つかの間の休みで、いつも将来を考えてしまう。



 
 

思わず、早退した

 ちょっと、職場内で、トラブルを起こしそうになった。

 他部署の女性職員で仕事量が、全然少なく余力も充分にある状態であって、業務に必要なデータも彼女が持っているにも関わらず、「私はやらない」と言われて、僕がやらざるを得ない状態になって苛立ってしまった。
 必要データの提供を求めても、「今は忙しい」やら「プライバシーにかかわる」とか、言うものだから、更に苛立ち、仕方なく、当事者に一斉メールで情報の提供を求めたら、当事者から彼女に問い合せがいったらしくて、そこで、彼女と険悪ムードになってしまった。

 ただ、これは、彼女が個人的にとった行動では無くて、彼女の上司から指示された取っている行動なので、彼女は悪くない。 
 
 業務をやる、やらない。その必要なデータをよこす、よこさない。で随分前から問題になっており、彼女の上司のさらに上の上の上司まで、僕を含めて、他の職員数名が訴えているところであるが、まったく対処してもらえる見込みはない。

 なんとなく、原因は分かっている。
 彼女のグループの職員達は、全く勉強していないから、折角データをもっていても、処理できない状態にあるのだ。
 だから、仕事を預けられないし、預けられても困るのだ。

 これは、僕の仕事仲間の間では、有名なことで、その分、僕らが請負わされることになるのだ。

 この怒りが、あふれ出そうになってしまい、思わず暴言が飛び出しそうになってしまい、「これは、まずい」ということで、頭を冷やすということで、早退しました。

 人材を使い捨てにするこの職場に腹が立つ。

忘年会を欠席したことについて

 こんなこと書いていいのかなとか思いつつ、
 こんなの読まされた方は、気分悪くなるだろうなと思いつつ、

 すみません。

 僕の、苛立ちがおさまりません。

 書かせてもらいます・・・。

  ドタキャンしたわけではなく、キチンとした手続きをした上での欠席でした。

 理由は、仕事の都合です。

 僕の前任者の職務怠慢ぶりがすさまじく、その状況を聞くや否や、怒っている状態です。

 なんでも、4年間も勤務時間中に居眠りしていたそうです。
 目撃した人も、複数いて、一応に驚いたそうです。
 当然、仕事も放置です。

 放置された仕事を、引き受けて何とかこなしていた職員は、どうも、立腹して辞めたようです。4年間よく、耐えたなと思います。

 放置された仕事も、全てを誰かが肩代わりしてやってくれた分けではなく、放置されっぱなしのものあります。
 僕が今している仕事は、僕の本来の仕事と、そいつの「汚いケツ」の拭き方です。

 上司も被害者です。
 やっとのことで、そいつを異動させたようです。

 僕は、今年、仕事のしすぎで体を壊しました(慢性頭痛)。

 腹が立って仕方がありません。

 飲み会の席で、上司に、その上の上司に、怒りをぶつける恐れを感じました。

 いくらなんでもこれは、まずいと思い、欠席し回避しました。


 前任者は、解雇、さもなくば、降格させらてしかるべきだと思う。

 組織というのは、分からない。