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「ゴルディオスの結び目」と絆

 岸見一郎ほか著の「嫌われる勇気」を読んで、その中に出てくるアレクサンドロス大王が思いもよろない大胆な方法で解いた「ゴルディオスの結び目」のことを自分に置き換えて、ぼんやりというよりは、少し深く考えてしまった。

 そして、もう、かれこれ10年以上前に読んだ、精神科医の大平健著作(題名は覚えていない)の内容を思い出してしまった。
 その内容は、「絆」について書かれており、「絆」が”キズナ”のときは、精神的に安心と安定感を得られ満たされており、「絆」が”ホダシ”のときは、束縛を強く感じ苦しいといった感想を持った。

 ネットで調べてみると、
   絆 ”きずな”  馬・犬・たか等をつなぎとめる綱。転じて、断とうにも断ち切れない人の結びつき。ほだし。
   絆(し) ”ほだし”  自由を束縛するもの。馬の足にかけて歩けないようにする縄

 調べてみて、なんか、怖い気がしてきた。 
 いつもは、「きずな」なんて良い方の意味ばかりに焦点をあてていたけれど、「ほだし」になったら、捕らわれの身という印象である。

 世間は、キズナキズナといっているけど、当事者にとっては、ホダシかもしれない。
 キズナと思っていたものが、その後の意に反する出来事によっては、ホダシに変わるかもしれない。
 そして、どちらも、漢字にすると「絆」である。

 キズナはホダシに変わり、今の自分と、なによりも将来の自分に恩恵をもたらすさないと感じたら、断たなくてはいけないと思う。
 やっぱり、人生には「勇気」が必要だと、凄く感じてしまう。

 そして、新たなキズナを得て、それが、ホダシに変わりを繰り返し、ヒトは生きて行くんだろうなぁと思う。

 もしかしたら、結婚は、生涯「キズナ」であり続けることを意味することなのかも知れない(それが、愛か?)。

 僕にとって、自分自身の人生を生きたいと願うならば、「勇気」をもって、自分の心に正直に行動することだと、感じているけど、相手があるというのは、困難を極める。

 本当に、勇気がほしい。