8月15日は、昭和20年に昭和天皇の太平洋戦争の敗戦の詔勅があった日で、よく「終戦記念日」と表している。
なんとなく、「記念日」と表現することに違和感を覚えてしまった。
ふだんよく使う場合の「記念日」は、慶事であることが多いからだと思う。
日本にとって、終戦した日は、「悲しんだ日」だったろう。
その「記念日」の意味した出来事の差が大きいから、違和を感じるのだと思う。
僕自身、一番しっくりくるのは、やはり政府の用いている表現「戦没者を追悼し平和を祈念する日」だ。となると、略して、「戦没者追悼平和祈念日」となったりするかもしれない。
マスコミでの使われ方にも興味を持ったので、身近なところで調べたら、読売新聞は、社説では「終戦の日」、記事では「終戦記念日各党が談話」などと、バラバラ。河北新報では「終戦記念日」だった。
政党では、自民党が党声明として「終戦記念日」、立憲民主党が代表談話として「終戦の日」、日本共産党が書記局長談話として「終戦記念日」という表現をとっていた。
たぶんこれらも多様性というか表現の自由というものなのか分らないが、その意味することをみんなが知っているので、良しとされている表現なんだと思う。
ただ、問題は、この違いを突き詰めるような仕事をさせられたらたまったものではない。
スッキリと他人に説明すること困難だ。
そろそろ、統一した名称としてもいいのではないかと、ふと思った。