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お墓参りに行き、複雑な気分

 昨日、お墓参りにいった。
 そこに葬られている人達ちは、僕の遠い親戚にあたる方で、幼少から20歳代にかけて本当によくしてもらった。
 この受けた恩に気づき感謝したいと思ったとき、つまり今現在は、お亡くなりになってしまっていた。50歳代、80歳代の方々だ。

 そこの家の方々は、50歳代の方の妻の我儘が引き金になって、借金を重ね財産を失い一家離散し、心労により病に倒れ、そして亡くなった。
 葬祭は、住まいが近くということもあり、僕の家族が執り行った。
 
 墓を守る近い縁者がいなくなり、ふと現状が気になったこともあるし、残念ながら、将来、僕の家族の墓も確実に同じ状況になってしまうことだから、余計気になってしまった。

 その家の墓を訪れたのは10数年ぶりだったから、見つけるのには若干苦労した。まわりの墓は、改装され新しい墓石になっていたけれど、その家の墓だけは、昔の古いままだった。でも、すでに花と線香が供えれており、心が和んだ。

 その墓には、我儘を言った妻も眠っている。他の家族が亡くなり最後に残された。
 働くことが嫌いというか、先天的な知的性格の問題があり働くことできない女性だった。
 残された財産を気前よく処分して、経済的に困窮すると縁者に助けを求めたものの、亡夫側の縁者は、事情を知っているものの放置できず、渋々援助していたようではあったが、結局は交流は途絶えたようだった。
 妻側の縁者、つまり両親などの血族の側は、傍から見てもっと冷たい対応を取ったようだ。「厄介者」になっていた印象を受けた。
 その後、行政の世話になり、僕が知ったときには、入院しており、そして、亡くなった。

 亡夫が生きていたころ、本人や一部の縁者は、別れることや、別れさせることも考えていたようだ。
 結局は、他の世間体を気にしたり争いごとを避けたい縁者や、「厄介者」を返されても困るというもの妻家族の都合に負けて、別れることはできなかったようだ。

 もし、別れてさえいれば、違った運命になったのだろうな、とふと思ってしまった。

 しかしながら、墓碑に一緒に刻まれ、死んでも別れられないというのも、なんかやるせないと思った。

 決断できずに、やり過ごした末路なんだろうな。