「良心は邪魔」みたいな要素が書かれていた小説は、マーク・トウェインの「不思議な少年」だったろうか?
今日は、そんなことを考えされられる場面に遭遇した。
情に流され、何とかかんとか、やっとのことで上司にOKをもらった案件で、ユーザーが、この念書のとおり約束を履行したものと思っていたら、まったく違うことをやっていた!
理由を尋ねたら、故意だった。わざとだった。初めから騙すつもりだったのだ。
原状復帰を求めたら、「せっかくヤっちまったんだから認めろよ」と。
原状復帰に係る相手の経済的負担は、ほぼゼロで、時間も1日も要しない。となると、何か裏がある(おおよそ見当がついている)。
挙句の果てに、今までの取引代金は踏み倒すらしく、乱暴な振舞いをしだす。
そして、「また交渉にくるからな、役所に訴えてやる」と言い残し去って行った(欺いておきながら、「役所に訴える」はおかしい)。
「コイツは、白蟻だ。」と思った。
上司に相談したら、「穏便に」とのこと。
これでは、傷は深くなる一方だ。
残念がら、先手を打って、役所に情報提供し、強制的に取引停止するしかないと思う。
かなり、激しいやり取りも覚悟せねばならない。
結局、最初の「良心」的対応が、禍を招いてしまった。
その対応をした職員も、それはそれで、ベストを尽くしたのだから責められない。
相手には、一粒の「良心」さえないことがよく分かった。
自分を含めて、職員自身を守るためには、「原理原則」を徹底するのが一番良いと思った。
兎に角、合法的でかつ社会正義にかなった罰を与えたいと、憤っている。