やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

新聞記事「子どもの貧困 依然深刻」について

 今日(8月13日(日))の読売新聞朝刊に「子どもの貧困 依然深刻」との記事があった。
 この内容は、定期的に載っているようで、いつも同じ内容のような感じがする。

 つまるところ、「シングルマザーの子育てはたいへんで、子どもは、貧困状態にあることが多いから、支援すべきだ」といった感じか。

 最近、このような内容の報道にふれるたびに、色々と考えてしまう。

 一概には言えないが、これは、離婚に伴う親権の取り決めの問題もあるのではないかと思ってしまう。
 以下、思ったことなんとなく。

 ・ シングルファーザーの場合はどうなの
 ・ 養えないのに、どうして、親権をもっているの
 ・ 養えないのに、親権を持つことは、ある意味、虐待にはあたらないの(現に子どもが犠牲になっている)
 ・ 父親からの養育費は貰ってないの
 ・ 父親に、親権を代わってもらったらどうなの
  など、など。

 離婚に伴う親権争いの話はよく聞くし、以前の勤め先でも、小さな職場(30人程度の職員)だったけど、2組(いや3組か)もいた。
 結局、男性は今の制度では「負けること」になっているらしく、相当なダメージを負っていた。
 このあたりの話は、社会的にも事件になったり、書籍にもなっている。

 おそらく、支援している当事者は、重々承知していると思うけど、このことも含めて検討しないといけないと思う。

 制度疲労なんだろうな。きっと。結婚や、少子化の一原因のような気もする。


 


 

 
  

墓参り

 今日、独りで墓参りに行ってきた。
 20年前(20歳代)のときは、まさか40歳代になってこの時期に独りで墓参りしているなんて思ってもいなかった。
 家族を築いて、子どももいて・・・。なんて暮らしあたりまえだった。
 
 お参りしながら、月日が速さを感じながら、逝ってしまった故人を思いながら、僕は何をしてきたのだろうか?と問うた。

 一生懸命に生きてきたと思っている。仕事に関しては、だ。
 
 私生活に関しても、決して、無為に過ごしてきたとは思わない。

 では、なぜ、悔いているのだろうか・・・?

 それは、人の甘い言葉に乗っかりすぎた。ということに尽きる。

 親、親族、上司、同僚だと思う。
 今、評価すると、多くは、好ましくない方向に作用していると思う。

 上司の昇進をちらつかせる甘い言葉に乗ってしまい、仕事に忙殺されるは、不祥事に巻き込まれるは、結局、閑職にいる者と同じ昇進だったし。
 親、親族は経済的、労働的、時間的負担をさせておいて、あたり前の顔をして、僕を支えるわけでもなかった。

 結局、誰にも相談せず、自分で悩みぬいて決断したことの多くが、良い結果をもたらしている。
 (甘い言葉やいい話を持ってくる人は、その人にとって、都合がいいだけで、僕のことなど、考慮されていないのだ。断る力、捨てる力が必要なのだ。)

 そう思うと、墓に眠る人には、本当に助けてもらった。
 今、こうして生きていて、経済的にも自立して、暮していけるのは、その人のおかげだ。とても感謝している。

 最後のお別れが、僕の幼さのせいもあり、険悪になってしまったのが、悔やまれる。

 そんなお墓参りだった。

同僚にガッカリ

 罰則がないからといって、法令に反することをするのは問題だ(具体的にかけないのだ、もどかしい)。
 損害を被る相手がいるからなおさらだ。

 何度止めるように命じても聞き入れられない(そもそも、「命じる」って表現がおかしいか?でも、そういった状態)。

 主張は、隣のでかい組織でやっているから、さらに、あそこでも、そこでもやっている。

 でも、僕の主張は、「やってはならぬ!」である。

 だいたい、たかだか10くらいの組織(同業者)でそのような事務作業(法令に反する)をしているからといって、その100倍くらいの事業所(別業者)は順守していると思うんだよ。僕個人も経済活動でその恩恵もうけているし。でないと、法令の意味はない(自動車のスピード違反とは訳が違う)。

 そして、とうとうさらに上の決定権をもつ上司に法令に反する状態を伏せながら、ことを進めようとしている。

 本当にうちの同業者どもの法令チェック機能は生きているのだろうか?

 疑問に思うんだったっら、分からないことを箇条書きにでもして、僕みたいに弁護士に訪ねろよ!って思っていたら、訪ねていた。
 そこで、またびっくりで、充分な情報、条件、状態を伏せながら、照会していたことが判明。しかしながら、意図的ではなく、単に気づいて(勉強して)いないだけ。他の事例から学べよ。しかし、一部の組織では、意図的なような気がする(単なる怠慢)。

 これは、とにかく離れるしかない。巻添えをくらう。

 利用者の誰かが気づいてしまったら言い訳は難しい。業務に携わる人も多い。内部告発だって充分ありえる。

 いまは、そんな時代なのである。

 





 

僕は、人の褌で相撲をとったのか?

 どうしても納得できないことがあった。
 でも、自分ができることは限られている。

 自分ができることを最大限にやりつつ、他者を利用した。
 その者の善意を利用したカタチで結果や成果は、未だ出ていない。

 この行いは、良かったのだろうか?

 利用された者にもメリットはあるはずだと、僕は思っているけど、それは、その者が判断することだ。
 「迷惑だ」とか「ずるい」とか思われているのだろうか?
 でも、社会では、あたり前の行いなのかもしれない(単なる言い訳かも)。

 熟慮して行ったことだ。
 このリスクは、見逃すことはできなかった。

 結果は、すぐにでるかもしれないが、10年後にでるかもしれない。
 
 とにかく、自分を信じよう。それしかできない。


 

 

 

3年前にビットコインを買っておけばよかった。残念。

 今、ビットコインの価値が上がり、そして、乱高下して、また分裂しようとしている。

 このビットコインについては、3年くらい前に、読売新聞や雑誌で取り上げられ、当然断言した評価はできないから、全体的に「将来性は見込めなくもない」といった感じの記事であったと記憶している。

 僕の記憶では、キプロスギリシャでの経済問題への対処や、中国の管理経済からの解放を目的に広まりつつあるといった記事であったような感じである。

 その時は、「買いだ」と思ったものの、僕は、ギャンブルというか冒険しない性格だったことあり何もしなかった。
 まぁ、買ったとしても、たぶん、当時のマウントゴックスから買うことになったと思われ?、その後、マウントゴックスが破綻したことからも、結果的には、よかったとも思うんだけど、でも、ビットコインそのものについての魅力は、あまり無くならなかった。当時、勤めていた職場の上司からも、「遊びで買ってみたら」と冗談を言われるくらいだったし。

 感覚的なものなのだけど、そもそも、通貨というのは、「価値の尺度を計るもの」といった感じがする。
 この尺度が、実態と合っているのか、合わないのか、なんだか分かんない状態で、各国政府がそれぞれの思惑で、通貨政策をとっているものだから、信用を失いつつあるような感じがするだなぁ。

 だから、政府の関与があまり入らない、仮想通貨に回避しようという思惑が働くのだと思う。そんな気がする。

 あぁ、3年前に遊びで買っておくんだった。折角、将来性に気付いていたのに。

 以上、戯言でした。





 


 

順守することができない法令

(全体的に脚色して書いてます。)

 法令には疎いです。
 ですけど、法令は守らなければならいことくらいは知っていて、当然、行っている。

 ただ、法令の中にも、罰則があったりするものは、意識して順守するけど、他は、自己の「常識」で活動している分には、抵触しないだろうと思っている。

 そんな中で、仕事で関係するところで、民法上、手続きがよろしくないと思われる状況に気付いてしまった。しかし、僕のところ以外の皆が、その「よろしくないと思われる手続き」をしている状況で、逆に僕の方がおかしいのでは?と思ってしまった。

 ということで、僕なりに民法(債権関係)他を調べ、やっぱい「おかしい」となり、遂には、弁護士の見解を聞くことまでした。
 その結果、「微々ではあるけど、相手方に損害を与えることになるので、改めるべきだと考える」との見解だった。つまり、僕の方が正しかった。

 そのことを皆に伝えると、「だからといって、法令を順守できるの? 現実的にできないだろう」との態度で、無視を決め込んでいるか、無理やり捻った解釈をして、問題無いとのこと。

 僕とすれば、手間暇はかかるけど、法令は順守できると思っている。でも、無視しろとの声が、大多数。そして、「僕が携わるべきことでは、無いことだ」とも。

 ただ、あとで、露見したら、結構の騒ぎになると思うんだよ。本当に僕は、無罪で済むんだろうな!

 できることならば、一旦、この案件からは、手を引きたい。法令を順守できない案件なんて、携わりたくない。

 という状態で、今、この案件から手を引くべく、検討中。







 


  

昔の同僚のブログに涙した

 以前といっても、もう、15年以上前に勤めていたところの同僚というか、担当違いの上司です。
 彼は、資格職で、給料も高く、度が過ぎて好き勝手に仕事をする人であった。

 「こんなことで不満を言う!」とも思えることを平気で言ったり、行ったりする御仁で僕も困った。

 「税務署で確定申告したら、税金が凄く高かった。お前(僕のこと)せいだ、何とかしろ!」
 みたいなことも平気で言われて困った。
 前述の時は、僕が、「お給料が高いので、納める税金も高いのです。ご理解ください」となだめたものの、税務署といろいろやりあったらしい。(当然、減額には、ならなかったようだが・・・)

 そんな、無茶苦茶な言動をする彼が、今、どうしているのかと、ふとネットで調べたら、ブログを作成していた。

 その内容が、重い病に侵され、重大な決断を迫られ、とても苦しんでいるものであった。
 罹患してから、約2年経過しているようだ。まだ、40歳代なのに。
 
 本人が持っている資格が、その病の理解と、治療については役立ってはいるが、「知らない幸せ」を奪ってしまっている。
 もっとも、今の世の中は、告知する方向にあると聞くから、当たり前のことなのかもしれないが。

 どうも、彼は、「生活の質の向上」を選ばざるを得ないと、苦渋の決断の心境を綴っている。

 そんな中でも、彼は、自分の人生を「とても恵まれた人生」と評しているし、僕も、周りとの軋轢や家庭の環境に立ち向かい、やりたいことをやってきた彼のことをそう思っている。

 「人生は、そう長くは無い。」

 この言葉が、凄く身に染みる。もう他人ごとでは、無いのだ。