やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

買い物依存症につき情報制限せねば

 暇なんてないけれど、ついついネット通販サイトをぶらぶら覗いてしまう。

 そして、心が満たされていないときに限って、使いもしない結構高価なモノを購入してしまう。
 主にPCパーツや、専門書等々なんだけど、ひどいときには、スマホを2台も買ってしまった。

 スマホに至っては、デザインが気に入り所有欲が出てしまい、変な理由と言い訳で自分を納得させて「気合一発」でつい購入してしまったものだ。
 
 スマホに限らず、注文したときは、達成感というか、ちょっとした心の充足感を味わえるのだけど、モノが届いて、数日経てば後悔に変わる。

 今は、そんなモノで溢れて、いわゆるゴミ屋敷状態である。

 ちなみに借金も抱えている身である。

 とにかく、気合を入れて情報を断って、あるもだけで、暮していかねば、と、強く思う(スッキリした生活をすると運を呼ぶらしいし)。

 スマホは、家の人が気に入ったらしく、元々持っていなかったこともあり、使っているので、無駄ではないけれども、お金は、還ってこなかった。

 禁欲的に暮らしたい。他にも、やりたいことは沢山あるのだから。








 
 

市民団体の自分勝手(エゴ)

 仙台駅近くの大きな通り(名前は知らない)の中央分離帯にあった立派な街路樹が無くなっていた。
 伐採されていたようだ。
 東北大農学部の歩道に面した桜並木が伐採されていた。

 どうして、騒ぎにならなかったのだろうか?

 確か、仙台市の市長が梅原さんだったとき、欅の街路樹を伐採するのに市民団体が大騒ぎしていた記憶がある。

 今回の伐採は、このときよりも規模が大きいと思うんだが。それに同じ公共事業でしょう?

 結局は、内容なんて関係なくて、その時の市長が、市民団体から好かれているかどうかなんだろうな。

 僕は、そんな市民団体とは、距離を置きたい。

 

新聞記事「子どもの貧困 依然深刻」について

 今日(8月13日(日))の読売新聞朝刊に「子どもの貧困 依然深刻」との記事があった。
 この内容は、定期的に載っているようで、いつも同じ内容のような感じがする。

 つまるところ、「シングルマザーの子育てはたいへんで、子どもは、貧困状態にあることが多いから、支援すべきだ」といった感じか。

 最近、このような内容の報道にふれるたびに、色々と考えてしまう。

 一概には言えないが、これは、離婚に伴う親権の取り決めの問題もあるのではないかと思ってしまう。
 以下、思ったことなんとなく。

 ・ シングルファーザーの場合はどうなの
 ・ 養えないのに、どうして、親権をもっているの
 ・ 養えないのに、親権を持つことは、ある意味、虐待にはあたらないの(現に子どもが犠牲になっている)
 ・ 父親からの養育費は貰ってないの
 ・ 父親に、親権を代わってもらったらどうなの
  など、など。

 離婚に伴う親権争いの話はよく聞くし、以前の勤め先でも、小さな職場(30人程度の職員)だったけど、2組(いや3組か)もいた。
 結局、男性は今の制度では「負けること」になっているらしく、相当なダメージを負っていた。
 このあたりの話は、社会的にも事件になったり、書籍にもなっている。

 おそらく、支援している当事者は、重々承知していると思うけど、このことも含めて検討しないといけないと思う。

 制度疲労なんだろうな。きっと。結婚や、少子化の一原因のような気もする。


 


 

 
  

墓参り

 今日、独りで墓参りに行ってきた。
 20年前(20歳代)のときは、まさか40歳代になってこの時期に独りで墓参りしているなんて思ってもいなかった。
 家族を築いて、子どももいて・・・。なんて暮らしあたりまえだった。
 
 お参りしながら、月日が速さを感じながら、逝ってしまった故人を思いながら、僕は何をしてきたのだろうか?と問うた。

 一生懸命に生きてきたと思っている。仕事に関しては、だ。
 
 私生活に関しても、決して、無為に過ごしてきたとは思わない。

 では、なぜ、悔いているのだろうか・・・?

 それは、人の甘い言葉に乗っかりすぎた。ということに尽きる。

 親、親族、上司、同僚だと思う。
 今、評価すると、多くは、好ましくない方向に作用していると思う。

 上司の昇進をちらつかせる甘い言葉に乗ってしまい、仕事に忙殺されるは、不祥事に巻き込まれるは、結局、閑職にいる者と同じ昇進だったし。
 親、親族は経済的、労働的、時間的負担をさせておいて、あたり前の顔をして、僕を支えるわけでもなかった。

 結局、誰にも相談せず、自分で悩みぬいて決断したことの多くが、良い結果をもたらしている。
 (甘い言葉やいい話を持ってくる人は、その人にとって、都合がいいだけで、僕のことなど、考慮されていないのだ。断る力、捨てる力が必要なのだ。)

 そう思うと、墓に眠る人には、本当に助けてもらった。
 今、こうして生きていて、経済的にも自立して、暮していけるのは、その人のおかげだ。とても感謝している。

 最後のお別れが、僕の幼さのせいもあり、険悪になってしまったのが、悔やまれる。

 そんなお墓参りだった。

同僚にガッカリ

 罰則がないからといって、法令に反することをするのは問題だ(具体的にかけないのだ、もどかしい)。
 損害を被る相手がいるからなおさらだ。

 何度止めるように命じても聞き入れられない(そもそも、「命じる」って表現がおかしいか?でも、そういった状態)。

 主張は、隣のでかい組織でやっているから、さらに、あそこでも、そこでもやっている。

 でも、僕の主張は、「やってはならぬ!」である。

 だいたい、たかだか10くらいの組織(同業者)でそのような事務作業(法令に反する)をしているからといって、その100倍くらいの事業所(別業者)は順守していると思うんだよ。僕個人も経済活動でその恩恵もうけているし。でないと、法令の意味はない(自動車のスピード違反とは訳が違う)。

 そして、とうとうさらに上の決定権をもつ上司に法令に反する状態を伏せながら、ことを進めようとしている。

 本当にうちの同業者どもの法令チェック機能は生きているのだろうか?

 疑問に思うんだったっら、分からないことを箇条書きにでもして、僕みたいに弁護士に訪ねろよ!って思っていたら、訪ねていた。
 そこで、またびっくりで、充分な情報、条件、状態を伏せながら、照会していたことが判明。しかしながら、意図的ではなく、単に気づいて(勉強して)いないだけ。他の事例から学べよ。しかし、一部の組織では、意図的なような気がする(単なる怠慢)。

 これは、とにかく離れるしかない。巻添えをくらう。

 利用者の誰かが気づいてしまったら言い訳は難しい。業務に携わる人も多い。内部告発だって充分ありえる。

 いまは、そんな時代なのである。

 





 

僕は、人の褌で相撲をとったのか?

 どうしても納得できないことがあった。
 でも、自分ができることは限られている。

 自分ができることを最大限にやりつつ、他者を利用した。
 その者の善意を利用したカタチで結果や成果は、未だ出ていない。

 この行いは、良かったのだろうか?

 利用された者にもメリットはあるはずだと、僕は思っているけど、それは、その者が判断することだ。
 「迷惑だ」とか「ずるい」とか思われているのだろうか?
 でも、社会では、あたり前の行いなのかもしれない(単なる言い訳かも)。

 熟慮して行ったことだ。
 このリスクは、見逃すことはできなかった。

 結果は、すぐにでるかもしれないが、10年後にでるかもしれない。
 
 とにかく、自分を信じよう。それしかできない。


 

 

 

3年前にビットコインを買っておけばよかった。残念。

 今、ビットコインの価値が上がり、そして、乱高下して、また分裂しようとしている。

 このビットコインについては、3年くらい前に、読売新聞や雑誌で取り上げられ、当然断言した評価はできないから、全体的に「将来性は見込めなくもない」といった感じの記事であったと記憶している。

 僕の記憶では、キプロスギリシャでの経済問題への対処や、中国の管理経済からの解放を目的に広まりつつあるといった記事であったような感じである。

 その時は、「買いだ」と思ったものの、僕は、ギャンブルというか冒険しない性格だったことあり何もしなかった。
 まぁ、買ったとしても、たぶん、当時のマウントゴックスから買うことになったと思われ?、その後、マウントゴックスが破綻したことからも、結果的には、よかったとも思うんだけど、でも、ビットコインそのものについての魅力は、あまり無くならなかった。当時、勤めていた職場の上司からも、「遊びで買ってみたら」と冗談を言われるくらいだったし。

 感覚的なものなのだけど、そもそも、通貨というのは、「価値の尺度を計るもの」といった感じがする。
 この尺度が、実態と合っているのか、合わないのか、なんだか分かんない状態で、各国政府がそれぞれの思惑で、通貨政策をとっているものだから、信用を失いつつあるような感じがするだなぁ。

 だから、政府の関与があまり入らない、仮想通貨に回避しようという思惑が働くのだと思う。そんな気がする。

 あぁ、3年前に遊びで買っておくんだった。折角、将来性に気付いていたのに。

 以上、戯言でした。