やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

「子どもたちの未来や安全のために」という理由は通用させてはならない

 自治組織の会合で、何度も壊れて、とうとう仮撤去していた共用施設のドア(扉)を修理するか、それとも、すっかり撤去してしまおうかとの話合いが持たれた。

 そこに出席した幼い子ども連れの女性が、感情たっぷりに訴える「”未来ある子どもの安全のため”に不審者を防ぐためどうしてもドアを修理して設置してください」と。

 その発言を聞いて、過去の経緯をしっている僕を含めた数人は思わず苦笑してしまった。
 しかし、経緯を知っているものも、雰囲気に呑まれて沈黙してしまったため、経緯を知らない、たまたま出席した方々からは賛同を得られ、結局は、修理し再度設置されることに決まった。各世帯の経済的負担も少なく、近隣トラブルを避けたいという思惑もあったように思う。

 過去の経緯というのは、「何度も壊れて、とうとう仮撤去」するに至ったことを指して、風当りの強い場所で、風圧でドアが勢いよく開閉するものだから壊れてしまったもので、手足や指などを挟もうものならば、大怪我も懸念されるので、そのときも話合いが持たれ、構造的に対処が難しことから仮撤去された。
 この話合いのとき、出席していた別の女性が主張した理由が、「”子どもたちの安全のために”どうしても早急に撤去してほしい」というものだった。
 この女性の主張は、実態と反映しており、もっともだと、皆、納得した。

 ところがだ、今回の、修理して再設置が決まるにあたっては、”子どもたちの安全のために”撤去してほしいと主張していた女性が欠席したこともあり、”子どもたちの安全のために”設置してほしいという、どちらケースにおいても同じ理由になんだけれども、危険性は考慮されることはなく、とういうか、考慮させない雰囲気を作り出されてしまった。

 再設置を求める理由として「不審者」も挙がられていたけど、誰でも通行可能なドアであり不審者かどうかも判別付かない分けで(僕などは、不審者と思われたくないので、顔を覚えてもらうために会合に出ているくらいなのに)、大きな理由にはならないと思う。

 つまり、「子どもたちの」ということにすれば、大抵は自己実現できるとう、いわば水戸黄門の印籠的な”手段”に使われているような気がして、最近は、例えば、女性や、選挙の候補者などが「子どもたちの・・・」と主張しているのを耳にすると、まずは疑いの目で見てしまう自分がいる。

 ”ずるい”というか、”誤魔化している”ように強く感じてならない。

 弱いものを利用する卑怯なことだと思ってならない。






 

「ほっき飯」を食す!(宮城亘理町あら浜)

 気分を一新したい!!!  ということで、
 仙台から1時間半程度のドライブが楽しめる亘理町荒浜地区にある「あら浜」というお店に「ほっき飯」を食べに行きました。

 おひとり様でわるいか!!!

 とか思いながら、特に入る店は決めずにドライブしていたら、お昼時間を少し過ぎていたこともあり、いつも満席の「あら浜」が、なんと入れそうな雰囲気!
 この「あら浜」というお店は有名な店らしく、仙台市街中にも店を出していて、昼時には、並んでいる光景もみたことがある。

 そして、

 今日は、大奮発するぞお~と、店内に入って、季節の料理「ほっき飯」(税込1,728円)を注文して食べました。

 ほっき飯は、たぶん醤油ベースのほんのり薄味風味なんだと思う。
 この味付けが、非常にあっさりしていて僕は好きです。(濃いめの味付けは苦手なんです)

 ひとときの贅沢な時間でした。
 ちょっとした幸せな時間を創り出して、人生を楽しみたい(大袈裟と思いつつ、やっぱりそうでもないか・・・)。


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食糧や仕事関係のモノ以外は買わない生活を目指しています。

 いま、僕の身の回りはモノで溢れています。
 そして、自分がしてきた過去の行いを悔いていますが、別に法的にまずいことをした分けではなく、世間一般的な道徳的にまずいことをした分けでもないと思っている。
 しかし、僕自身は、無知とはいえ、恥ずべき行動を取ってしまったと思っている。結果的に僕に関わった方々の将来に多大なる迷惑をかけてしまったとも思っている。

 だから、今年は、モノを買うことは控えて、旅行とか、美術や映画鑑賞などの経験することにお金を使いたいと思っている。
 あとは、今まで買いためた書籍を読むのに時間を割きたい。

 モノを買うと、一時的な所有欲求は満たされ、精神的にも快感を覚えるのだけれども、部屋がモノで溢れ、ゴミ屋敷化が進行するというか、進行している。

 だからそれをくい止めるためにも、今年1年は目指したい。

 でも、なによりも、「自分磨き」のために、目指している。

 新しい自分に期待して。

 

たまには、スマホの無い生活も良いものだ。

 スマホの充電を忘れた。
 仕方なく、通勤の電車乗車時や待ち時間は、スマホのない時間を過ごした。
 いつもは、短く感じられた時間が、長く感じられ、なんとなく得した気分だったし、電車内では、ちょっとした仮眠もとれた。

 スマホで、ゲームやら、ネットサーフィンやらしている時間がもったいないと感じられつつも、分っていながら依存してしまうこの気質に何となく嫌気が差しつつも、「これは巧妙に仕掛けられたワナなのだ」と自分に言い聞かせ、心をなだめていた。

 ちょっとした良いキッカケになった思う。

 明日は、フル充電だけれども、スマホとは距離をおいてというか、意識を避けるというか、そんな生活をしようと思う。

 スマホは「時間泥棒」だな。

仕事での電話応対でミスった

 電話にてお年を召した女性客から商品の問合せがあった。

 出だしから、相手は喰ってかかるような話しぶりの客で、お問合せがあった商品も、
 ウチでは、扱っていない商品だったので、そのことを説明し、同業他社を案内したら、

 客が、キツイ声の調子で、
 「なんで扱ってないんだ、扱っていて当然だろう。あなたのところの仕事、そんなんでいいのか!」と。

 無いものは無いものだから、こちらは、
 「ご希望に添えなくて、すみません」と返した。

 そしたら、「あなたの名前はなんていうの?」と
 電話で一番最初に名乗ったよなぁと思いながら、再度名乗る。

 すると、「あなた、どこに住んでいるの? 前はどんな仕事をしてたの?」なんて聞いてくる。
 
 今にして思えば、ちょっと精神的に弱らせて、さらに深く、弱みを探ろうという、いわば本能的な攻撃話術なんだと思う。

 ここで、少しシドロモドロに、まともに答えてしまったものだから、相手に調子付かれてしまい、そばにいた同僚からは、
 「お前、電話で、何関係ないこと話しててんだ!」って言われる始末だった。

 この場合、「私個人のことは、お問合せの仕事とは、関係のないことですので、お答えは控えさせていただきます」
 と返すべきだったのだろうなと思っている。

 結構、電話対応で、この手の深みにはまる人は多いようだ。

 クレーマー的要素のある客との対応は疲れる。

 客は皆「神様」ではなく、利益の生まない客との対応も考えた方が良いのだろうなと、ふと感じた。
 でないと、人件コストが大きくなりすぎ、疲弊してしまう。

 そういう時代なのだと思う。





 

とにかく捨てていきます!

 幼いころからテレビCMで「もったいないお化け」なんて流され、家族も吝嗇(ケチ)だったから、自分の洗脳されているような気がする。
 結局は、モノで溢れてしまって、氣が削がれ、自分の本質性や、時間までの失っているように思う。

 「もったいない」なんて言ってないで、いらないモノは捨てていって、自分の本質を見つけたい。

 と、ふと思った。

 それに、モノをよく捨てる同僚と仕事をしていたときは、とにかく仕事が早く片付いた。そういった、実績もあるし。

「ポルノ記事」強し!

 読売新聞の児童ポルノ記事について、ブログに感想を書いたら、全体として見てくれている方は少ない中で、そこだけはそれなりにアクセスがある。
 やはり、太古の昔から遺伝子に受け継がれている本能に訴える部分は、抗いようがないと思う。

 経験的に、媒体ポルノは、幸福を吸い取るものだと思っている。
 依存症を招いて、今後に支障が出ると思っている。

 道義的、倫理的にどうかとは思いつつ、「生身のヒト」と接するようが、コミュニケーション能力やら、自身の本質を知るといった点で、マナブところが多いような気がする。

 こうして、DVDやらネット動画やらの媒体ポルノにハマっていると自己満足で終わってしまい、人と関わる能力が結局は、磨かれずに終わってしまい、ひいては、少子化に繋がっていくのではないだろうか?

 ふと、そう思うのです。