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「食事処 海鮮 大海」(亘理町荒浜)で、はらこめしを食す

 近年、この季節になると、ドライブがてらに仙台市から南に位置する亘理町に「はらこめし」を食べにいってくる。
 「はらこめし」そのものは、近所の生協なんかでも弁当にして売っているし、繁華街の飲食店でも提供していたりするので、珍しくもない。

 気分のリフレッシュのためのドライブには、ちょうどいい距離ということと、海が見えること、ついでに、阿武隈川も見れる。
 それでもって、美味しいものを食すとなると、この時期は、「はらこめし」になる。

 10月6日に行ってきた。

 宣伝の上手な店は、予想通り、行列ができている。
 僕は、よく利用している町中心部のお店にいったら、なんと、行列ができていた・・・。
 ついでに、店先で道路工事をしているらしく、駐車スペースもあまりない。
 やむなく断念し、新たな店を探すことにした。

 適当に店を見つけるべく、荒浜港に車を走らせると、当日はイベント開催中らしく、人でいっぱいでしたが、付近の幹線道路沿いにお店を見つけた。

 「食事処 海鮮 大海」
 1時頃に入ってみると、客席も、結構あり、たいだい、8割くらいの混みようだった。関東から来たバイクツーリングの人なんかも利用していた。
 「はらこめし」(税込1,296円)を注文。汁物(あら汁、かに汁)はセルフサービスとのことで、あら汁(美味しかったです)を頂きながら待つこと少々。

 テーブルに運ばれた「はらこめし」を食べましたら、普通に美味しかったです。
 当たり前だけど、店によって、微妙に味付けが違うの面白い。

 また、利用したいと思える店でした。次は、ほっき飯か、海鮮丼だな。

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「そば処 葉菜」での昼食

 10月1日に宮城県黒川郡大衡村方面へ出張する用件があって、大衡村大童にある「そば処 葉菜」で食事した。
 よく行っている「ぐるめ茶屋」の近くで、同じ道路沿いにある。
 そのうち行きたいと思いながら、いつでも行けるからと理由を付けて、結局、行けずにいた店だ。
 
 一緒にいった職場の若き同僚に勧められ、入店した。
 若き同僚が言うには、以前、勤めていたところで出張の際は、よく利用していたとのことで、店も感じも、料理の盛りも良いとのこと。

 正午ちょうどに入店、席は、半分くらい空いていたが、10分後には、満席になった。

 客層は、ビジネスパーソン、老夫婦、家族連れ、中年女性の集まりといった状態。

 天丼セット(税込1,210円)を食事した。
 ボリュームは、若干多めというくらい。味は、結構、美味しかった。
 僕には、ちょっと予算オーバーであったが、他店と比較して、普通の値段だと思う。
 
 一回入ると、次も入りやすくなるから、よい機会だった。
 独りでも、支障なく利用できそうな店構えということも分かった。

 近いうちに、プラベートで利用する予定!

鳳園分店(台原 労災病院近く)で食事した

 鈍痛なんだけど慢性化している頭痛をなんとかすべく、台原森林公園に散歩に行くことにした。
 帰り道、地下鉄台原駅から乗車するところ、少し、小遣いを浮かせるべく?、地下鉄北仙台まで歩いた。

 労災病院に行ったとき、見かけた飲食店を思い出し、ちょうどお昼の時間帯だし、入ってみることにした(独りで入店)。
 
 入店するのに、ちょっとためらってしまったが、何とか入ったら、後から2人ほど、初めての来客と思われる方々が入ってきた。
 常連も、いるんでしょうけど、病院近くということもあり、新規の多いのでは?と思えてしまった。

 メニューをみて、ちょっと心配した。
 店員さんが、1、2人なんだけど、メニューが多すぎないかと?
 短時間で、調理できるのかと?
 まあ、余計なお世話ではあるのですけど。

 それで、無難と思える、看板メニューの支那そば(650円)を注文した。

 あっさりした醤油ベースのそばで、本当に普通のそばでした。

 なんとなく雰囲気的に、まったりできたので、たぶん、また利用すると思う。
 
 それから、メニューは絞った方が良いと本当に思ってしまった。


 
 

頭痛 1

 5月末日の締切に絶対に間に合わせなければならない仕事で、5月最終週に緊張がピークを迎えた。
 このころ、この仕事に関しての一部分を担っている老担当と質疑応答を重ねていた。
 そしたら、この老担当、誤って業務を行ってしまい、予算オーバーしたことが発覚。
 事情を聞いたら、「予算オーバーしていない」と言い張る始末。
 さらに聞いたら、「予算が足りなくなったとき、財務部署に伝えて予算を確保した」とのこと。
 僕が、「財務部署の担当を教えて?」と尋ねたら、
 なんと、他組織で仕事を発注元の役所とのこと。そして、職場の財務担当者とは事情は説明したものの、放置状態だったことが判明。
 つまり、発注元では、予算があるが、うちの組織では、予算化する手続きがなされていないことが分った。

 この老担当、僕よりも1年も前からここで仕事をしているのに、分っていないのか? とぼけているのか? ぼくをおちょくっているのか?

 そんな話のかみ合わないやりとりを、締切期限の直前2日間やっていたら、僕の後頭部の中でヒンヤリしたものが分泌されたような感覚がした。

 それからです、高等部、首筋、両肩が締め付けられるような状態になったのは。

 成り行きで3人医者に診てもらうことになり、特に異常なしということで、はっきりした診断名は付かず、結果的には、一般的な頭痛薬をもらった程度。

 僕がいろいろ調べたところでは、恐らく「緊張型頭痛」だと思うんだけどな。

 3人の医者からは、まったく「緊張型頭痛」の言葉が出てこなかったから、戸惑っている自分がいる。



 

新聞紙が捨てられない病

 休みの日で思いついたときに、新聞の整理している(捨てている)。
 よく読んでいるのが、読売新聞です。
 だいたい、半年から1年位前のものを再度読み返し、取って置きたい記事を切り抜いている。

 これが結構、おもしろいのだが、困ったもので、やり始めた1日分新聞紙の切り抜きはすぐ終わる。進めていって、2日目分、3日目分となると、「知りたい欲求」が出てくるのだろうか? どんどん取って置きたい記事が増えてくる。また、当時、記事を読んで自分なり将来に予測した結果がどうなっているかを眺めることができて、「先見の明」があるのでは?なって思ったりする。

 そんなこんなで、作業が進まず、困った、困った。

 やっぱり、一気に片づけるのは、無理で、せいぜい、1日に5日分程度なのだろう。

 そうしてみると、休んでリフレッシュさせることの重要性が、なんとなく理解できた気がする。

身内へ相談することの危なさ

 なんだろうか?
 大切なことを決めるとき、「身内の人と相談した方がよい。」と大抵の者は言うけれど、最近というか、ここ5年前くらいから、「身内の人と相談するのは危険だ」という声を聞く。
 今日、週刊現代の新聞広告を眺めたら、似たようなキャッチフレーズが偶然、目に入って、強く印象に残った。

 僕の経験からいっても、これはよくあてはまり、相談をする方、受ける方の力関係がモノをいう。例えば、親と子であって、昔ながら親の方が、力が強い場合、当然、親の意向に沿った決断になってしまうし、実質、当人の自己決定では無くなってしまう。
 僕の場合も、結局そうで、身内以外の者が、慎重に考えるべきとの意見をくれるような事柄でも、身内の者が寄ってたかって、イケイケゴーゴーだった場合は、当人の意志や、思考も麻痺してしまうし、実際、麻痺した。そして後悔している(やっぱり自分で決めていなからね)。

 身内の者は、正気に戻りつつあるようで、扇動したことに気まずさを感じながらも、「結局は、決めたのは本人だから」と話しのタネにしている性質の悪いものもいれば、あまりにも近い身内すぎで、利害関係を及ぼすことに気付き、ことの重大さに、当人と途方に暮れているものもいる。

 やはり、直接的な利害関係をもたない者と相談した方が、成功するにしても、失敗するにしても、納得できている。
 
 これからは、相談相手を、カネで買う時代なんだとしみじみ思っているし、むしろ、カネで買った方が上手くいたっているように思えてならない。
 しかし、何となく、それはそれで、良いのではないかと思う自分がいる。

 

 
 

我慢の限界に近づいている

 いつも、私は、身近にいる人の機嫌を損なわせないように、怒らせないように、そして飽きさせないようにと、綱渡りをしていたような感じた。
 その対象者は、私に対しては、どうだろうか?
 
 怒ったり、機嫌が悪かったりと、なんか私を操っているというか、支配しようとしているのではないだろうか。

 性質が悪いことに、無意識に、当たり前と思ってしているようだ。
 
 これは、私の精神のグラス(器)も堪えきれなくなって溢れる寸前だ。

 溢れる前に、対処すべきか、溢れてから対処すべきか、それは、勇気ある決断が必要だ(見切り千両ともいうし、貴重な時間が失われる)

 これは、お互い、上下などなく、相互評価なのに。

 私が、あなたに、最終評価を下す日も近いのかもしれない。

 つまるところ、敬意を持ってもらえなかった、私の人徳の無さによるものなんだと思う。もう、止む無し。