今日、独りで墓参りに行ってきた。
20年前(20歳代)のときは、まさか40歳代になってこの時期に独りで墓参りしているなんて思ってもいなかった。
家族を築いて、子どももいて・・・。なんて暮らしあたりまえだった。
お参りしながら、月日が速さを感じながら、逝ってしまった故人を思いながら、僕は何をしてきたのだろうか?と問うた。
一生懸命に生きてきたと思っている。仕事に関しては、だ。
私生活に関しても、決して、無為に過ごしてきたとは思わない。
では、なぜ、悔いているのだろうか・・・?
それは、人の甘い言葉に乗っかりすぎた。ということに尽きる。
親、親族、上司、同僚だと思う。
今、評価すると、多くは、好ましくない方向に作用していると思う。
上司の昇進をちらつかせる甘い言葉に乗ってしまい、仕事に忙殺されるは、不祥事に巻き込まれるは、結局、閑職にいる者と同じ昇進だったし。
親、親族は経済的、労働的、時間的負担をさせておいて、あたり前の顔をして、僕を支えるわけでもなかった。
結局、誰にも相談せず、自分で悩みぬいて決断したことの多くが、良い結果をもたらしている。
(甘い言葉やいい話を持ってくる人は、その人にとって、都合がいいだけで、僕のことなど、考慮されていないのだ。断る力、捨てる力が必要なのだ。)
そう思うと、墓に眠る人には、本当に助けてもらった。
今、こうして生きていて、経済的にも自立して、暮していけるのは、その人のおかげだ。とても感謝している。
最後のお別れが、僕の幼さのせいもあり、険悪になってしまったのが、悔やまれる。
そんなお墓参りだった。