やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

「圧倒的な勝ち組になる 効率のいい考え方と仕事の仕方 天明麻衣子 著」を読んで

 本のボリュームが少なく、サクッと読めるということで、手に取りました。
 著者は、東大卒で元々あたまの良い方であり、どんな思考回路をしているのかと興味を持って読みました。

 40歳代の僕にとって、この歳まで経験してやっと分かってきたなと思えることが、さらりと書いてあり、凄いなと思った。

 キャッチコピーの「親も友達も信じるな」「結果の出ない努力はムダ」「他人とくらべないと意味がない」も、いくら綺麗ごとを言ったって、結局はそのとおりだと思える。

 著者は、著者なりに家族の介護や生死を否応なく経験しつつ、最大限の「自分のやりたいこと」を見つけて「ドライ」に行動していることが参考になった。
 また、変に「依存してしまいそうな誘惑」とは対決せずに、うまく往なしているのもとても参考になった。やはり、我慢することは難しいのだ。であれば、できるだけ遠ざければよい、といったところか。この辺りは、精神論でナントかというのではなく、好感を持てた。

 そして、やっぱり、「身内との拘わり方」「他人に振り回されない行動」そして、「常識に囚われずに、自分のやりたいことに向かっていく姿勢」がよかった。

 おそらく、できる人というのは、これが“当たり前”なんだろうなと感じながら、読み終えました。

simフリーのスマホを使って思うこと

 simフリースマホを使い始めて、早、1年半。その前は、ドコモのガラケーで、一切がっさい含めて月5,000円くらい払っていた。電話は全くと言っていいほどしてないから、100%近くiモードのパケット代だったと思う(面倒なもので、よく覚えていない)。

 なんか、たまたま訳も分からず巷で話題になっているからとネットのアップル直販でsimフリーiPhoneを買っちゃったものだから、simフリーに移行することにした。
 手続きなんかも全然わからないから、ヨドバシカメラsimフリーiPhoneを持ち込んだら、全部やってくれて、非常に楽だった。

 その際に、事前にドコモショップに行って、電話番号の引越し手続きしなくちゃないということで、赴いたら、かれこれドコモとの契約は、18年の長きにわたっており、割引も最大限されているらしかった。
 対応された店員さんも、simフリーとの価格には勝てないことを、当然、把握しており、あきらめモードでちょっと気の毒ではあったけど、2年縛りの違約金?をガッツリとられたので、手切れ金ということで、割り切ることができた(このあたりも、知識をもっていれば節約できたのが残念だ)。

 そんなこんなで、1年半使ってみたsimフリーの月あたりの料金は、概ね2,000円未満に収まっている。
 これは、安い!料金体系も非常にシンプル。
 なんで、キャリアとの価格差が大きいのかが不思議だ。

 しかしながら、周りでは、今だにsimフリーへ移行せず、そのまま高い料金を払ってキャリアと契約している人がほとんどだ。

 きっと、手続きが煩雑だと、節約する意識も萎えさせるのだろうと思えてならない。


  

読売新聞記事「児童ポルノ7200人購入名簿」

 年初めの、1月1日の読売新聞記事に児童ポルノ単純所持で摘発されたと報道された。
 僕は男性だから、なんとなく、単純所持したいという欲求は理解できる。成人アダルト映像と同じだ。
 
 昔、知人と酒を飲んでいて、「幼い我が子の着替えを手伝っていたら、そよ様の子どもに興味を持ちつつある自分に気付いて戸惑った」なんていう告白まで聞かされたことがある。

 僕は、「自分の」子供に縁がなかったから、そういった場面には遭遇せず、どのような気持ちになるのかがわからない。
 しかし、成人向けのアダルト関係の映像に触れるたびに、興味を引き付けられるのとそんなに変わりはないと思う。

 これは、男性の本能によるところが大きいから、対処は難しと思える(だから、7,000人超だし、この本能は、もしかしたら、子育てするのに役立っていたかもしれない)。

 今、所持している人は、当然、強い決意で、即、廃棄する。

 そして、ネットなどの媒体で、目にする機会を一切根絶するしかないと思う。

 興味がないと思っていても、一度でも見てしまうと、強烈な刺激と誘惑に、果たして抗うことはできるのだろうか?
 (僕は、絶対にハマると思う。タバコといっしょで。)

 だから、とにかく、入口を頑丈に塞いだ方がよいと強く思う。
 誘惑映像などは、目に触れないようにするしかないと思う。

 
 犠牲になった子どもたちを救うためにも、社会全体の急務だと思っている。
  

捨てる勇気! 断つ勇気! を

 平成30年(2018)が明けた。
 テレビCMのフレーズで「流される」のではなく、「流れをつくっていきましょう!」みたいのがあったけど、まさにそのとおりで積極さを出していきたい。

 その結果、周囲からの支持が少なくても、「いつか分かってもらえる」と自分を信じて生きたい。

 「捨てる」ことと「断つこと」は難しいと本当に思う。

 一部を恐らく人間の本能に根差しているものだからだろうか?
 しかしだ、自分の気持ちや思いが離れてしまっているものは、手放すに限るのだ。

 たとえ、周りの多くの人から非難されようとも、勇気をもって行動する必要があるのだ。そして、ときには、逃げることや距離をとることも重要だ。

 本当に「周りの多くの人たち」は無責任だ、寄ってたかって、ときには権力をチラつかせ、動かそうとしたり、留まらそうとするけれど、本当に結果責任は取らない。

 今、僕は、大きな危機にあるように感じている。
 事が起きたとき、僕の勘と、考えと、思いに従っていれば、確実に回避できていた。

 以前の担当は、自分を貫き通し、精神を病んでしまった。

 僕は、結果的に、周囲に迎合せざるを得ず、そして問題が起きようとしている。

 こうなってしまった以上、逃げるが勝なのだ。勇気をもって行動したい。

 理解してもらえない人や、悪意の見える人との関係を捨てることや、断つことの重要性を、ここ数年本当に身に染みている。
 そいつらは、善人よりも、善人のふりをしている。
 さもないと、僕の人生が喰いモノにされてしまう。
 正月早々、なんとも悲しいことだが、これが現実だ。
  

常識に「囚われずに」生きてやる。

 常識ってなんだろう。
 僕は、よく考えてします。

 ”敬(けい)”という男がいた。
 敬は、僕のことをお前は「普通ではない」とか「常識を知らない」とかよく人前で言いふらす奴でキライだった。
 そんな敬は、高校のとき、万引き、カツアゲ等々やって、警察のお世話になり退学処分を喰らっている。
 その後も、警察のお世話になりながらも、3Kの職を得て、恐らく成績はよかったのだろう、一般家庭よりもマシな生活を送っている。

 ときどき彼のことを思い浮かべる度に、不愉快になりながらも、お前の方が、絶対に「普通じゃない」し、「非常識だ」と強く思ってしまう。

 政治やテレビの世界(芸能、メディア)でも思うのだけど、「常識」や「普通」を声高に叫んでいる人の方が、やっていることが怪しいように思える。

 後で、言葉巧みに取り繕ってしまうところなんが(加計学園問題など)、本当にいやらしい。

 結局は、「常識」や、「普通」なんて意識しないで、法と正義と資金力の許す限りにおいて、好き勝手やった方が絶対によいと凄く思う。

 アメリカ合衆国トランプ大統領を見てても、強くそれを感じてしまう。

 僕は、今、40歳代。結構、死んでる知人がいます。

 死を意識しつつ、思いっきり、好き勝手に強く生きて行きたいと思う。

 
 それから、敬!、お前とは、一切、関わらないことにしている。
 お前が出る会合は、全て欠席です。
 なぜなら、お前の苦しむ顔が見たいから・・・。(互いの感情が悪化せぬようにとの、せめてもの、僕の良心だよ。)





  

優柔不断-人に流される自分

 昨日、職場の年輩の女性達から
「風邪でつらそうに見えるから病院いったら」と、
しつこく言われ、さらに「インフルエンザだったらどうするの?」とまで、強く言われた。

僕自身は、熱っぽいけれども、たいしたことはなく、2、3日も普通に過ごしていれば、治癒すると思っていたところで、「大丈夫、大丈夫」と返事をしていたものの、あまりにも不安をあおるものだから、医師の診察を受けた。

 医師からは、ざっくばらんに、「非常に軽い風邪だね」のような診察をされた。
 正直、自分も「やっぱりそうだろ」と思った。
 そして、医師に尋ねた「インフルエンザ」の可能性は?
 医師曰く、「症状からして、全くないと思う(笑い)。でも、不安そうなので検査しますか?」と

 事情を話したら、検査することになって、医師の見立てのとおり、インフルエンザではなかった。

ここで、医師が「これは、一種のハラスメントだよね」と感想を述べられた。


 職場の年輩女性達は、心配してくれるのは、うれしいけれども、どちらかというと、「余計なお世話」のケースが多くて、僕としては不愉快に感じつつある。
 かといって、その「余計な心配」に応えなかったら、それはそれで、悪口の対象となってしまう。

 しかし、今回のケースから学ぶことは、悪口の対象となろうと、”自分を信じて行動すべきだった”ということだと思う。
 風邪をうつされたくないいうのは、分かるけれども、当然、僕もマスクをしていたわけだし、結果的に、医療従事者でもない人間の不正確な知識による”小さなことを大げさにして不安を煽る”という行動に惑わされ、操られたことにより不機嫌になってしまっている。
 このように多人数の主張に押されて自分の意志を曲げ行動し、結果がついて来なくて、いつも後悔している(推した多人数は、たいてい知らん顔で、無責任)

 とにかく、自分を信じよう。勇気をもって。それしかないのだ。
 その結果、たとえ悪くても、受け入れることは納得してできると思う。

 (無責任な多人数の方々とは、距離を置いて付き合おう)



 
 

 





 

良心を捨てよ

 「良心は邪魔」みたいな要素が書かれていた小説は、マーク・トウェインの「不思議な少年」だったろうか?
 今日は、そんなことを考えされられる場面に遭遇した。

 情に流され、何とかかんとか、やっとのことで上司にOKをもらった案件で、ユーザーが、この念書のとおり約束を履行したものと思っていたら、まったく違うことをやっていた! 

 理由を尋ねたら、故意だった。わざとだった。初めから騙すつもりだったのだ。

 原状復帰を求めたら、「せっかくヤっちまったんだから認めろよ」と。
 原状復帰に係る相手の経済的負担は、ほぼゼロで、時間も1日も要しない。となると、何か裏がある(おおよそ見当がついている)。
 挙句の果てに、今までの取引代金は踏み倒すらしく、乱暴な振舞いをしだす。
 そして、「また交渉にくるからな、役所に訴えてやる」と言い残し去って行った(欺いておきながら、「役所に訴える」はおかしい)。

 「コイツは、白蟻だ。」と思った。

 上司に相談したら、「穏便に」とのこと。
 これでは、傷は深くなる一方だ。 

 残念がら、先手を打って、役所に情報提供し、強制的に取引停止するしかないと思う。
 かなり、激しいやり取りも覚悟せねばならない。

 結局、最初の「良心」的対応が、禍を招いてしまった。
 その対応をした職員も、それはそれで、ベストを尽くしたのだから責められない。

 相手には、一粒の「良心」さえないことがよく分かった。

 自分を含めて、職員自身を守るためには、「原理原則」を徹底するのが一番良いと思った。

 兎に角、合法的でかつ社会正義にかなった罰を与えたいと、憤っている。