やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

新聞紙が捨てられない病

 休みの日で思いついたときに、新聞の整理している(捨てている)。
 よく読んでいるのが、読売新聞です。
 だいたい、半年から1年位前のものを再度読み返し、取って置きたい記事を切り抜いている。

 これが結構、おもしろいのだが、困ったもので、やり始めた1日分新聞紙の切り抜きはすぐ終わる。進めていって、2日目分、3日目分となると、「知りたい欲求」が出てくるのだろうか? どんどん取って置きたい記事が増えてくる。また、当時、記事を読んで自分なり将来に予測した結果がどうなっているかを眺めることができて、「先見の明」があるのでは?なって思ったりする。

 そんなこんなで、作業が進まず、困った、困った。

 やっぱり、一気に片づけるのは、無理で、せいぜい、1日に5日分程度なのだろう。

 そうしてみると、休んでリフレッシュさせることの重要性が、なんとなく理解できた気がする。

身内へ相談することの危なさ

 なんだろうか?
 大切なことを決めるとき、「身内の人と相談した方がよい。」と大抵の者は言うけれど、最近というか、ここ5年前くらいから、「身内の人と相談するのは危険だ」という声を聞く。
 今日、週刊現代の新聞広告を眺めたら、似たようなキャッチフレーズが偶然、目に入って、強く印象に残った。

 僕の経験からいっても、これはよくあてはまり、相談をする方、受ける方の力関係がモノをいう。例えば、親と子であって、昔ながら親の方が、力が強い場合、当然、親の意向に沿った決断になってしまうし、実質、当人の自己決定では無くなってしまう。
 僕の場合も、結局そうで、身内以外の者が、慎重に考えるべきとの意見をくれるような事柄でも、身内の者が寄ってたかって、イケイケゴーゴーだった場合は、当人の意志や、思考も麻痺してしまうし、実際、麻痺した。そして後悔している(やっぱり自分で決めていなからね)。

 身内の者は、正気に戻りつつあるようで、扇動したことに気まずさを感じながらも、「結局は、決めたのは本人だから」と話しのタネにしている性質の悪いものもいれば、あまりにも近い身内すぎで、利害関係を及ぼすことに気付き、ことの重大さに、当人と途方に暮れているものもいる。

 やはり、直接的な利害関係をもたない者と相談した方が、成功するにしても、失敗するにしても、納得できている。
 
 これからは、相談相手を、カネで買う時代なんだとしみじみ思っているし、むしろ、カネで買った方が上手くいたっているように思えてならない。
 しかし、何となく、それはそれで、良いのではないかと思う自分がいる。

 

 
 

我慢の限界に近づいている

 いつも、私は、身近にいる人の機嫌を損なわせないように、怒らせないように、そして飽きさせないようにと、綱渡りをしていたような感じた。
 その対象者は、私に対しては、どうだろうか?
 
 怒ったり、機嫌が悪かったりと、なんか私を操っているというか、支配しようとしているのではないだろうか。

 性質が悪いことに、無意識に、当たり前と思ってしているようだ。
 
 これは、私の精神のグラス(器)も堪えきれなくなって溢れる寸前だ。

 溢れる前に、対処すべきか、溢れてから対処すべきか、それは、勇気ある決断が必要だ(見切り千両ともいうし、貴重な時間が失われる)

 これは、お互い、上下などなく、相互評価なのに。

 私が、あなたに、最終評価を下す日も近いのかもしれない。

 つまるところ、敬意を持ってもらえなかった、私の人徳の無さによるものなんだと思う。もう、止む無し。

婚活のお見合いでコーヒー代をおごらず見限られた50歳代男性を評した記事について

 結婚相談所を運営する既婚女性が書いている記事中、お見合いで50歳代前半の男性が、コーヒー代を御馳走しなかったから(おごらなかったから)、40歳代前半女性から即見限られたとの内容があった。そして、その男性は駄目だと、悪い評価がなされていた。

 これを読んで、経験者でもあり、当時、各方面からの情報をイヤというほど集めて得た経験からして批評させてもらえば、これは、おそらく、逆で、男性側の方が、女性側よりも、もっと早く、見限ったとみるべきではないのか?

 男性側から、お断りするのは結構気を使うし、地域性というか、昔からの習わしというか、「断っていけない」という”とんでもない”習わしすらあるところがある。
 よって、男性側から、お断りする比較的容易な手段としては、コーヒー代をおごらないということなのである。今後の発展が全く無いその女性に対しては、コーヒー代を御馳走する必要性が無いということだ(意図的にマナー違反をするのもどうかと思いつつ、これはアリだと強く思っている)

 記事中の、40歳代女性と、結婚相談所を運営する女性の感覚には、驚いてしまった。
 「ケチな男性」はお断りと一方的に決めつけている。
 相手男性は、この辺のマナー(コーヒー代を御馳走すること)は心得ているうえの行動だと願いたい。

 婚活は、相互評価なのである。
 女性が男性を一方的に評価するものではないのである。
 
 これが、もし男性側が、子どもを望み、女性側は、30歳だったら、若干、パワーバランスが異なってくるとは思うが、基本は同じだと思う。
 
 将来的に悩まないためにも、男性、女性の両性に理解ある結婚相談所を選んだ方がよいと思う(個人的にはZがよかった)。

 今、しみじみ思っている。

 

米国とトルコの関係悪化に伴うリラ安で外貨預金で踊らされる

 なにを血迷ったのか、今、外貨預金なるものを始めて2カ月経った。
 お小遣いの程度ということで、月1万円くらいで、と軽い気持ちだったら、「南アランド」の高金利にそそのかされ、家計に手を付け、あれよあれよと20万円くらい外貨に換えてしまい、反省していたところに、今回の、米国とトルコの対立に伴うトルコリラ安、そして煽りをくらった、南アランド安だ。

 我慢できなかった。
 結局、「少しだけならいいだろう」という心の中からの甘言に勝てず、また、家計に手を出し、投入してしまった。

 家計といっても、所詮、自分のお金、「好きに使っていいだろう!」という言い訳と、ここで、勝負しなかったら、「情けない」という二つの気持ちが交差している状態です。

 とにかく、悩んだ分だけ、少しでも儲かればいいなと思っている。

 なんか、労働対価として得るお金ではないので、これまた、いいことなのか、違うのか、疑問をもってしまう。

 しかし、自分には、欲にまみれて「信念」といったものがないなと、自省してます。

岩手県八幡平市「焼走り溶岩流」を見てきた

 8月4日(土)に、いつもの長時間勤務状態が、ちょっとだけ緩んだので、気分転換に岩手県八幡平市の「焼走り溶岩流」を見てきた。
 仙台市中心部から、大体、片道3時間半といったところですかね。
 動機となったのは、読売新聞の記事の紹介されていたこと、そして、ガイドブックでは大きく取り上げられておらず、空いていると思ったことでした。

 現地に到着したら、この場所は、岩手山の登山口になっているらしく、また、岩手山も綺麗で、溶岩流よりも、いつか岩手山を登山してみたくなりました(しかし、問題は体力だな)。
 溶岩流は、太陽に照らされ熱くなっており、それが、あたかも、噴出時の余熱ではないかと思ってしまうくらいでした。
 また、樹木の侵入があまりなく、緑化されていないのが、興味を持ちました。

 日帰りのドライブだったのですが、この辺りは、景色がよく、泊まりがけが良かったな、と、また、少し反省したのでありました。

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「全国やきものフェアinみやぎ」にいってきた

 仕事が、超多忙で、そんな暇は無いと思いつつ、というか、心身症が発症し、仕事に手が付かなくなったので、どうしても気分転換したくて、夢メッセで開催されている「全国やきものフェアinみやぎ」にいってきた。

 以前も、いったことがあって、いろんなデザインの器や、その土地ならではの陶器などがあり、面白かったという記憶があったからだ。

 会場に入るにあたって、入場料500円が必要となる。
 ちょっと驚きと、ムッときたが、陶芸作家さんの作品も売れるとは限らず、また、作品の鑑賞も兼ねるという分けだから、今は、納得している。というよりも、500円支払ってでも、訪れる価値有と納得できるということだろう。

 それで、いろいろ見て回って、真っ白で、まったく絵柄のないマグカップを購入した(3,000円也)。

 購入にあたっては、似たような器は、量販店で、いくらでも売っているようなあ・・・・、なんて、躊躇してしまった。

 ただ、この器に惹かれるのは、そのカタチの歪みなんだと思う。

 きれいな円ではなく、ちょっとした歪み。

 これが、僕を惹きつける。

 ここ数日間は、器をみて、うっとりしていたい。