やるのは自分!荒々しくグチつつ、発展を!

日々感じたことをグチりつつ自戒します。そして希望を見つけます!

優柔不断-人に流される自分

 昨日、職場の年輩の女性達から
「風邪でつらそうに見えるから病院いったら」と、
しつこく言われ、さらに「インフルエンザだったらどうするの?」とまで、強く言われた。

僕自身は、熱っぽいけれども、たいしたことはなく、2、3日も普通に過ごしていれば、治癒すると思っていたところで、「大丈夫、大丈夫」と返事をしていたものの、あまりにも不安をあおるものだから、医師の診察を受けた。

 医師からは、ざっくばらんに、「非常に軽い風邪だね」のような診察をされた。
 正直、自分も「やっぱりそうだろ」と思った。
 そして、医師に尋ねた「インフルエンザ」の可能性は?
 医師曰く、「症状からして、全くないと思う(笑い)。でも、不安そうなので検査しますか?」と

 事情を話したら、検査することになって、医師の見立てのとおり、インフルエンザではなかった。

ここで、医師が「これは、一種のハラスメントだよね」と感想を述べられた。


 職場の年輩女性達は、心配してくれるのは、うれしいけれども、どちらかというと、「余計なお世話」のケースが多くて、僕としては不愉快に感じつつある。
 かといって、その「余計な心配」に応えなかったら、それはそれで、悪口の対象となってしまう。

 しかし、今回のケースから学ぶことは、悪口の対象となろうと、”自分を信じて行動すべきだった”ということだと思う。
 風邪をうつされたくないいうのは、分かるけれども、当然、僕もマスクをしていたわけだし、結果的に、医療従事者でもない人間の不正確な知識による”小さなことを大げさにして不安を煽る”という行動に惑わされ、操られたことにより不機嫌になってしまっている。
 このように多人数の主張に押されて自分の意志を曲げ行動し、結果がついて来なくて、いつも後悔している(推した多人数は、たいてい知らん顔で、無責任)

 とにかく、自分を信じよう。勇気をもって。それしかないのだ。
 その結果、たとえ悪くても、受け入れることは納得してできると思う。

 (無責任な多人数の方々とは、距離を置いて付き合おう)



 
 

 





 

良心を捨てよ

 「良心は邪魔」みたいな要素が書かれていた小説は、マーク・トウェインの「不思議な少年」だったろうか?
 今日は、そんなことを考えされられる場面に遭遇した。

 情に流され、何とかかんとか、やっとのことで上司にOKをもらった案件で、ユーザーが、この念書のとおり約束を履行したものと思っていたら、まったく違うことをやっていた! 

 理由を尋ねたら、故意だった。わざとだった。初めから騙すつもりだったのだ。

 原状復帰を求めたら、「せっかくヤっちまったんだから認めろよ」と。
 原状復帰に係る相手の経済的負担は、ほぼゼロで、時間も1日も要しない。となると、何か裏がある(おおよそ見当がついている)。
 挙句の果てに、今までの取引代金は踏み倒すらしく、乱暴な振舞いをしだす。
 そして、「また交渉にくるからな、役所に訴えてやる」と言い残し去って行った(欺いておきながら、「役所に訴える」はおかしい)。

 「コイツは、白蟻だ。」と思った。

 上司に相談したら、「穏便に」とのこと。
 これでは、傷は深くなる一方だ。 

 残念がら、先手を打って、役所に情報提供し、強制的に取引停止するしかないと思う。
 かなり、激しいやり取りも覚悟せねばならない。

 結局、最初の「良心」的対応が、禍を招いてしまった。
 その対応をした職員も、それはそれで、ベストを尽くしたのだから責められない。

 相手には、一粒の「良心」さえないことがよく分かった。

 自分を含めて、職員自身を守るためには、「原理原則」を徹底するのが一番良いと思った。

 兎に角、合法的でかつ社会正義にかなった罰を与えたいと、憤っている。

ブログを始めてからの3年間を振り返って

 ブログを始めてから、3年間が経った。
 まぁ、良く続いていると思っている。
 
 この3年間、ぼんやり過ごしているようだったけど、いろいろあった。
 
 まず、勤め先が変わった。
 前の職場にいたとき、転勤やら、配置転換やら、何かされるだろうな?と思っていたら、次の新たな事業所を斡旋されてしまった。
 待遇は少し悪くなったけど、我儘はいっていれない。周りと比べれば、良い方なのだから。

 次に、
 別れがあった。
 僕にとって、別れとは、「相手から行動をおこされて、僕が受け入れる」
 つまり、過激に言えば、僕が捨てらるというパターンしかなかった。

 今回は、違った。僕の方から別れた。そういうのが、何件かあった。
 「僕にとって得るものがなく、いいように利用されているな」と感じたから、別れた。
 あとは、「見下されているな」と感じたら、別れた。
 自己啓発本や、新聞の人生相談なんかには、このようなケースは、「すぐに別れるべきだ」みたいなことが書いてあるけど、相手を傷付けては悪いという思いと、惰性で、ズルズル過ごしてしまった。
 声に出して伝えて、別れた人もいれば、距離を取りつつ、フェードアウトした人もいる。
 今振り返ると、時間を失ったという点で、お互いにマイナスだった。
 どうして、早く別れなかったのだろうかと、悔いている。
 孤独というのは、始めは淋しいけれど、今は「おひとり様」という言葉もあるくらいで、世間でこれだけ増えていると、なんか心が安定するのも早かった。
 このブログも、気持ちを吐きださせてくれて、結構、役にたった。
 そしたら、良くも悪くも、「出会い」もあったりして、結局、受け身の人って、好感をもたれないようだと思えるようになってきた。

 それから、お世話になった人達がお亡くなりになった。
 皆、突然で、30歳、40歳代の方々だった。
 突如、癌が見つかったり、くも膜下出血だったり、転倒して頭を打ったり、心筋梗塞だったりして死んだ。
 死が身近になり、次は、僕の番かと、ふと思うことが多くなった。


 今の気持ちをまとめてみると、
 これからは、できる限り、自分の好き勝手に生きたいと思っている。
 自分の好きなこと、やりたいこと何だろう?と自分から動き出して探すことにしている。
 既にやっている、人との別れや、不要なモノを捨てるのもその一環だ。
 後、思うのは、大事なことこそ、本音で行動した方が、他人を傷つけずに済む場合が多かったから、できるだけ、本音を出していきたいと思っている。

 とにかく、勇気を出して生きていきたい。



 











 

日本酒を飲みすぎて反省(宮城の日本酒はうまい!)

 僕は、あまり人とお酒を飲む機会はないけれど、たまたま、仕事帰りの付き合いで、一杯付き合うことになった。
 そこで、日本酒を飲んだときは、なんだろう、スッキリしていてスイスイ飲めてしまう日本酒で気が付いた、3合も飲んでいた。

 これは、本当に、自己管理ができない愚か者で、帰りのJRの駅や、タクシーで気持ち悪いのを堪えるのが大変だった。

 「もう!絶対に、1合でやめておく!」
 と誓ったものの、流されやすい僕だから、また繰り返すんだろうなぁ~なんてちょっと諦めが入っている。

 それにしても、刺身とか、和食系との宮城の日本酒はうまい!

 澤乃泉、綿屋、一ノ蔵、こんなお酒があるもんだから、「ちょっとでいいや」なんて注文してしまい、結局、飲み過ぎてしまう。

 楽しければ、良いのですけど、その帰りが大変なんです。

 まわりの人に迷惑をかけてないのが(たぶん)、せめてもの救いか?

 それにしても、宮城の地酒はうまいと思う。

企業の改ざん問題を報じる朝日新聞やテレ朝に呆れた

 神戸製鋼日産自動車、スバル、東レで改ざん関係の不祥事が相次いでいるが、それを報じる朝日新聞や系列のテレ朝が、いかにも正論ぶっているけど、朝日新聞従軍慰安婦問題と比べれば、社会に与える大きさや、経済的損失は、たいしたことないと思う。

 朝日新聞やテレ朝が、自分たちがしたことは棚に上げ、他所の企業の不祥事を叩くというのは、モラル的にどうなんだろうか?「恥」というものを知らない?

 朝日新聞やテレ朝が、自分たちが真偽を確かめずに引き起こした従軍慰安婦問題の反省をすること無しに、この問題を扱ってはいけないと思う。

 過ちを犯してしまった自分たちだからこそできる報道の在り方というのを探してほしいと思う。

 他の報道機関を差別化がはかられ、もしかしたら、業績につながるかも知れない。

お客様に怒鳴られる(電話対応にて)

 お客様から、契約についての問合せがあり、”震災被災者なんだら、配慮しろ”と言わんばかりの口調でまくしたてられた。
 どうも調べてみると過去(2年以上前か?)にも同じ内容で問合せしており、根負けした職員が、できもしない色好い返事をしたらしい。

 残念なことに、問合せがあったとの記録はあるものの、当時の職員とのやりとりの記録はない。
 びっくりすることに、「当時の職員」は誰だかわからない! これってあり?

 こんな体制で、電話で交渉するのは、キツイし、何よりも、お客様が察してしまい、お怒りになってり、挙句の果てに僕への個人攻撃に発展!

 個人攻撃を受けつつ、動揺しながらも、交渉し、何とか一旦電話を置かせてもらい、後でお返事することになった。
 そして、思うに、「2年以上前からこんな状況で、直す気が全くないんだよなぁ」と。

 関係者全員(そう全員だよ!)に接触して聞いたら、皆、知らないし、覚えていないとのこと。もう終わりだな、ここは・・・。

 気持ちをリフレッシュして、気合を入れて、「契約できない」との返事と、「色好い返事をして(たとすれば)、期待を持たせてすみません」と謝罪しました。

 そしたら、また、怒り出して・・・。なんとか耐えて、治めました。

 とにかく、過去の汚点を消せてよかった。
 だいたい、お客様もいくら被災者だからといって、いつまでも、無茶苦茶でも契約(何とか)してもらえると思っている。

 もう、6年以上経過しているわけだし、被災者特権からは、脱却していないといけないと思う。
 僕の職場も改善すべく、何とかして欲しいのだが、僕の立場では、ほとんど、動けない。

 けど、できる範囲で、全力で対処したいと思っている。


 あぁ~、しかし、個人攻撃は、反則だよな、訴えてやりたい気分だ。
 あのお客は、神様でも、疫病神だ。

仕事での会合がうまく行った!

 今日は、仕事に関して外部からお客人を招いての会合の日。
 職場の経営陣No2、3と、僕の直属の上司のいる前で、僕が、進行と説明を行い、なんとか、承認を得ることができた。

 経営陣No2、3は、特に何の感想も残さず、さっさと自分の部屋に戻っていったが、僕の自己評価としては、それなりに良くできた方だと思っている。
 他の同僚が同じ仕事をした場合は、きっと、もっと上手くしただろうけど、僕にとっては、これ以上はできないと思う。

 そもそも、大の苦手な業務だからだ。

 どうして苦手なのかというと、僕の中学校時代の嫌な思い出を引きずっているからだ。

 みんなの前で、発表したとき、うっかり言い間違えてしまった。本当に、たいしたことはない。
 しかし、半年もの間、よってたかって冷やかしを受けた。

 それ以来、大勢の人の前で、声を発するのが、大の苦手になった。

 いわゆるトラウマってやつだ。

 こういった嫌な思い出を引きづりながらも、克服したいという気持ちや、仕事だからという気持ちで、何とかこの手の会合や会議に携わってきた。

 今までの、若干の失敗はあったが、ギリギリ乗りえてきた。

 それと比べれば今回は、良かった方だ。

 誰が何と言おうと、良かった方なのだ。誰が、何と言おうと良かった方なのだ。

 そういったことで、今は、独り美味しく酒を飲んでいる。

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 30歳代後半から、職場やプライベートで身近だった同年齢の方が、ちらほら他界してしまった。
 ある日突然逝った人もいる。
 いつ、僕がそうなるかわからない。本当に死が身近になってきたと感じる。

 そんな心境を抱きつつある近頃、「僕を軽く見ている人」や「悪い思いでをくれた人」とは、断絶することにした。
 といっても、もう、10年以上会ってない人もいるから、本当にただ、”心の持ち方を変えた”だけなんだけれど、結構ラクになった気がする。

 だから、同窓会で彼や彼女らが来ると分かれば行かないし、いい話があっても、あえて、必要ないと決めつけ避けている。

 重しがとれ、身軽になった。
 
 友達や、知人、さらに人脈が少ないというのも、それなりに、心地良いものだと思い始めている。

 そう、ここから、また、始まるのだ。