やるのは自分!荒々しくグチつつ、発展を!

日々感じたことをグチりつつ自戒します。そして希望を見つけます!

仕事での電話応対でミスった

 電話にてお年を召した女性客から商品の問合せがあった。

 出だしから、相手は喰ってかかるような話しぶりの客で、お問合せがあった商品も、
 ウチでは、扱っていない商品だったので、そのことを説明し、同業他社を案内したら、

 客が、キツイ声の調子で、
 「なんで扱ってないんだ、扱っていて当然だろう。あなたのところの仕事、そんなんでいいのか!」と。

 無いものは無いものだから、こちらは、
 「ご希望に添えなくて、すみません」と返した。

 そしたら、「あなたの名前はなんていうの?」と
 電話で一番最初に名乗ったよなぁと思いながら、再度名乗る。

 すると、「あなた、どこに住んでいるの? 前はどんな仕事をしてたの?」なんて聞いてくる。
 
 今にして思えば、ちょっと精神的に弱らせて、さらに深く、弱みを探ろうという、いわば本能的な攻撃話術なんだと思う。

 ここで、少しシドロモドロに、まともに答えてしまったものだから、相手に調子付かれてしまい、そばにいた同僚からは、
 「お前、電話で、何関係ないこと話しててんだ!」って言われる始末だった。

 この場合、「私個人のことは、お問合せの仕事とは、関係のないことですので、お答えは控えさせていただきます」
 と返すべきだったのだろうなと思っている。

 結構、電話対応で、この手の深みにはまる人は多いようだ。

 クレーマー的要素のある客との対応は疲れる。

 客は皆「神様」ではなく、利益の生まない客との対応も考えた方が良いのだろうなと、ふと感じた。
 でないと、人件コストが大きくなりすぎ、疲弊してしまう。

 そういう時代なのだと思う。





 

とにかく捨てていきます!

 幼いころからテレビCMで「もったいないお化け」なんて流され、家族も吝嗇(ケチ)だったから、自分の洗脳されているような気がする。
 結局は、モノで溢れてしまって、氣が削がれ、自分の本質性や、時間までの失っているように思う。

 「もったいない」なんて言ってないで、いらないモノは捨てていって、自分の本質を見つけたい。

 と、ふと思った。

 それに、モノをよく捨てる同僚と仕事をしていたときは、とにかく仕事が早く片付いた。そういった、実績もあるし。

「ポルノ記事」強し!

 読売新聞の児童ポルノ記事について、ブログに感想を書いたら、全体として見てくれている方は少ない中で、そこだけはそれなりにアクセスがある。
 やはり、太古の昔から遺伝子に受け継がれている本能に訴える部分は、抗いようがないと思う。

 経験的に、媒体ポルノは、幸福を吸い取るものだと思っている。
 依存症を招いて、今後に支障が出ると思っている。

 道義的、倫理的にどうかとは思いつつ、「生身のヒト」と接するようが、コミュニケーション能力やら、自身の本質を知るといった点で、マナブところが多いような気がする。

 こうして、DVDやらネット動画やらの媒体ポルノにハマっていると自己満足で終わってしまい、人と関わる能力が結局は、磨かれずに終わってしまい、ひいては、少子化に繋がっていくのではないだろうか?

 ふと、そう思うのです。


 

婚活での悔い

 婚活での過ちを悔いている。
 過ぎたことなので、時間が癒してくれるかと思いきや、強烈なパンチは無くなったが、じんわりと沁みるパンチが強弱交えてやってくる。

 なにが一番悔いているかというと、優柔不断であったことだろう。

 いい女性なんだけれども、決められず、断れずという最悪な状態だった。
 そして、貴重な時間を浪費してしまった。

 男にとって、「断る」勇気があるかどうかが、婚活が上手くいくかどうかだと思う。

 日々の事象に対して、流されるのではなく、決断する努力をして、今後につなげたい。

 

正月早々、激しく動揺した。

 正月といえば、まとまった休みと年賀状です。
 このまとまった休み中に元同僚、知人からの年賀状をみると、必ず子どもの写真がある。

 この子どもの写真を見て、1年間のプライベートの出来事や将来の希望なんかに想いをめぐらすとたちまち気分が沈んでしまう。

 仕事については、キチンと職を得てそれなりにお給料をいただいており、恐らくは将来も安定していると思えるし、貯蓄も少ないけれど、できている。
 
 問題は、「家族を築けた」か?である。
 これが、まったくの駄目で、将来の無縁孤独化が視野に入り、すごく「さびしさ」を感じてしまうのである。

 30歳代後半においては、まだ、「なんどか結婚して子供を持って・・・」なんて夢を見ていたが、さすがに40歳代中盤になると、将来に不安を感じないわけにはいかない。

 正直、このブログに気持ちを書きつけてなんとか、気持ちを落ち着けているといった感じだ。

 40歳になったときも、30歳のときに描いていた姿と、親戚、知人、友人が築いた姿(家庭・家族)と否応なく比べてしまい、不眠など、精神的にまいってしまい精神科を受診したほどだった(精神安定剤睡眠薬を処方され、2カ月くらいゆったりしていたし、当時の仕事も、これを許してくれた)。

 それから、数年経過し、現在はどうだろう。
 
 ・・・・もっと悪くなっている。取り返しがつかない。時は残酷だ。

 でも、精神的にまいってないは、あきらめの境地か?

 まだ、このブログでの社会との接点がある、たぶん、なんとか大丈夫だろう。

 不安を受入れる勇気がほしい。

 

西宮市の今村市長の読売新聞記者への暴言について

 いかなる者も暴言は良くない。
 公職にあって、かつ、要職にあるものはなおさらだ。

 しかしながら、今回の今村西宮市長が読売新聞の記者に「殺すぞ」と暴言を吐いたその経緯を知ってしまうと、「良くない」とは思いつつも、「よくぞ言った!」という感情が湧き上がってしまう。
 もし、彼が立候補し、僕が西宮市民で投票権をもっていたら今村市長に1票を投じたい気分だ。

 読売新聞の記者が、今村市長に対して「幼稚すぎませんか」と発言している。
 どうして、この記者の発言が問題にならないのかと思う。
 
 市長に対して失礼だし、軽蔑しているし、かつ、挑発している。
 読売新聞記者のこの辺のモラルも問われるべきだと思う。
 読売新聞記者にしてみれば、いや、マスコミとしては、「普通」のことなんだろうけれど、これでは、立腹するのも理解できる。

 要職にあるものは、この程度の挑発に載せられるようでは駄目との意見が大勢のようだけど、アメリカのトランプ大統領しかり、ある程度の「暴言」は支持されるような時勢になっているような気がする。

 今日(5日)、この件についての読売新聞の見解が知りたくて同新聞を買ってしまった(いつもは土日しか買わない)。
 記事は掲載されていなかった。
 きっと何か思うところがあるのだろう(いい方に取りたい)。読売新聞におかれても、反省してもらいたい気分だ。

 それから、僕も10年近く前になるけど、当時勤めていた職場で、読売新聞の記者の方とは、2度ほど、業務担当者への案内ということで、対応させてもらったけど、いずれの方も、とにかく、横柄で、かつ失礼な命令口調で話をされる方でした。地元紙やNHKなどと比べて非常にそう感じたことを覚えています(それなのに読売新聞を買ってますが・・・、頻度を減らそう)。








 
 

「圧倒的な勝ち組になる 効率のいい考え方と仕事の仕方 天明麻衣子 著」を読んで

 本のボリュームが少なく、サクッと読めるということで、手に取りました。
 著者は、東大卒で元々あたまの良い方であり、どんな思考回路をしているのかと興味を持って読みました。

 40歳代の僕にとって、この歳まで経験してやっと分かってきたなと思えることが、さらりと書いてあり、凄いなと思った。

 キャッチコピーの「親も友達も信じるな」「結果の出ない努力はムダ」「他人とくらべないと意味がない」も、いくら綺麗ごとを言ったって、結局はそのとおりだと思える。

 著者は、著者なりに家族の介護や生死を否応なく経験しつつ、最大限の「自分のやりたいこと」を見つけて「ドライ」に行動していることが参考になった。
 また、変に「依存してしまいそうな誘惑」とは対決せずに、うまく往なしているのもとても参考になった。やはり、我慢することは難しいのだ。であれば、できるだけ遠ざければよい、といったところか。この辺りは、精神論でナントかというのではなく、好感を持てた。

 そして、やっぱり、「身内との拘わり方」「他人に振り回されない行動」そして、「常識に囚われずに、自分のやりたいことに向かっていく姿勢」がよかった。

 おそらく、できる人というのは、これが“当たり前”なんだろうなと感じながら、読み終えました。