やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

映画鑑賞「日本のいちばん長い日」を鑑賞した

 上演が始まって、ふと気づいた。
 本木雅弘と山﨑努の共演は、「おくり人」と同じだなと。
 そして、やっぱり、イイ味だしているなぁと。
 
 ふと、鑑賞が終わってからの感想が「おもしろかった」だった。そして、即、自分自身を恥じた。
 これは、現実にあったことで、多くの生命が失われたという事実がある。だから「おもしろい」など、不謹慎だと強く思った。

 だた、自己弁護するなら、「涙しそうになった」ことだ。
 昭和天皇の決断や、当時の政治家の行動が、そして、戦没者の方々が、今日の礎となっている。

 本当に、適当な言葉が見つからないくらいだ。とにかく、畏れ多いことだ。


 ちょっと、脇道にそれるが、本当に重要なことを決めるのには、「ルール」や「決まり」といったものは、破られるものではないのだろうか?どうも、歴史が証明しているような気がしてならない。一種の「騙し討ち」みたいなこと。
 結局は、当時のルールが、時流に対応できないのに、かたくなに守ろうとしてる。そもそも「ルール」とは何のためにあるのだろう?
 この映画では、「ルール」をできるだけ守るため、阿南大臣がとぼけ、全権を持っている昭和天皇が動くしかなかったのか?

 内容とは、離れるが、鑑賞者が気になった。ざっと見渡して、平成生まれと思われる方々は皆無であった。
 無関心も恐ろしい。

 

怒られてことについて

 叱られたことについて、どうしても、釈然としないので、その事案を処理した当時の記憶を思い出していた。
 叱られている最中は、何がなんだかわからなかったが、同僚の証言などもあり、かなり思い出してきた。

 そこで、思い出されたのは、その事案の処理の手続きを指示をしたは、お叱りになられたあなたのチームだったということだ。つまり、お叱りになられたあなたの指示がそもそもの間違いだったということだ。

 当時、この事案については、対象の相手の報告が全くのデタラメで、是正しようと、相手の許可を得ようとしたら、デタラメを認めた上で、当時の時点では、何が正しいのかも分からないといった有様だった。

 このケースの場合、お返しするか、とりあえず、そのままにして置くかの選択肢があった。自分では判断が付かず、今後、思わぬトラブルがあるかもしれないとの同僚の強い勧めもあって、お叱りになられたあなたのチームにお伺いをたてたのだ。こちらの望む処理は、「お返しする」だったのだが、指示は「そのまま置いておく」というものだった。

 そして、検査チームのチェックが入り、その検査員が問題扱いし、原因の調査の過程で、僕のいるチームに責任を押し付けているだけなのだ。 自身のチームの下した判断を検証することなしに。

 僕のいるチームで対応を検討し、上司は、その責任を被ることを決めた。「お叱りになられたあなたのチーム」は、エリートを集めた精鋭チームであり、そのチームにたて付くのは、恐れ多いとのことだとのこと。僕も無念だけど納得せざるを得なかった。サラリーマンだし。

 なんか、利害関係のない、第3者の方の判定があるといいなと本当に思った。
 だんだん、うちの職場組織もおかしくなっていくように感じられ、今後の自分の身の振り方を考えないといけないと本当に思っている。

怒られ、怒鳴られる。

 僕も、上司も甘く考えて、調査に望んでしまった。
 
 上司は、相手の女性にいいとこ見せようとして、余計なことを言ってしまった。傍にいた、僕は、ちょっと違和感を感じたが、見過ごしたし、その時点では、どうすることもできなかった。

 相手に付け入るスキを与えてしまった。
 もっと上の、上司に、報告されてしまい、大問題に。

 法律に触れないし、嘘も言っていない。だから、良いというわけでは、ない。

 相手は、最初からアラ探しに来ているのだから。その相手に、調子をこいてベラベラと。

 もっと、上司と対策を練るのだった。

 幹部職員に怒られ、怒鳴られ、週明けは、経営役員に怒られる。

 そもそも、この仕事に向いていない。

 左遷されないかな。

 でも、頑張るしかないな。

 戒めにします。

お役人様の経験不足

 重要な?お客様であるお役人様に、何度か前例のある「お願い?」をしに行ったら、

 新しく着任されたお役人様、曰く、「この内容では、乏しくて、判断できません」


 馬鹿じゃないのか?本当に「お願い?」だと思っているの?
 「お願い?」を止められて困るのは、本当はあなたじゃないの?

 もう、止めだな。

 何がどのように乏しくて、判断できないのか、キチンと示しなよ。代替え案も示しなよ。某市役所は、提示してくれたよ。それだけ勉強してるってことだよ。

 この場合「自身の勉強不足と能力不足で判断できません」が、正しい返答なんだろうな。

 まぁ、今後、余計なことしないようになるから、いいのかな。

 それから、仁義を欠いてお金にならない依頼は、断らないといけないな。

 そういう時代だよ。
 くれぐれも、ヒトのせいにしないようにね、あなた個人とは、縁切りだ。



  

 

ちょっと居酒屋に入ったら・・・

昨日、仙台市内の国分町のビルで客引きに誘われ居酒屋香屋に予約なしで入ったら・・・、お通し2、ビール2、やきとり1で、3,800円也。料理(やきとり)も催促してやっと出てくる始末で。客引きから渡されたサービス券は使えないとか言われて・・・。本当にガクッ!!! 本当に残念。

気を取り直して、他店へ。3,500円で満足な内容でした(ふつうだよね)。

いつも他人のせいにする自分

自己分析をすると、いつも他人のせいにしている気がする。
いけないなぁと思いながらも仕方がないと思っている自分がいる。

このイヤな気持ちを他人に悟られないように、できるだけ覆い隠している。


根本的な原因は、自分に主体性がないことだと思う。

そう感じて、主体性って何って思って、あたりを見渡すと、自分勝手な人ばかり。

結局、僕が、後始末。

そして、他人のせいとこぼす。

あぁ、悪循環!


要は、スピードなんだな、「先んずれば、人を制す」

制された方は、悔しがる。そして言い訳をする。


とにかく、今は、精進と修行だなって、つくずく思う。

親との関係に悩む

実親のことです。
僕が行おうとすることに、いろいろ助言してくれるし、昔は、僕からも相談していた。

しかし、ここ数年は、無意識に避けているような気がしている。

結果が、ついてこないのだ。
お金の管理をしてやるといいながら、無心だったり、僕が買いたいものなんかも無視して、遠く違うものを勧めてくるし。

40代の僕が親離れできていないなぁと感じるのは、親の助言を拒否できていないことだ。
やっぱり、親の言うことは素直に従うべきという一種の教えの影響か?

それに気づいているから、避けているのだ。

今の自分が経済的に生活に困っていないのは、だれにもそそのかされることもなく、完全に、自分自身で判断を下して、得た実績によるものなのだ。

だから、最近、勇気をもって親と話した。

結果が出ないから、口出し不要と。

すると、「40代にもなって、上手くいかないと親のせいにする情けない子供」と憐れまれる始末。
「やっぱり、そう来たか」と自分。

やはり、距離を置くしかないんだな。もっと、もっと、自分を信じよう。


僕も含めて、周りには、こんな人が結構多い。