新聞の広告蘭に北野武の著書「新しい道徳」の宣伝が掲載されていた。
その広告内容の非常識なようでも、共感できる見出しに凄く引き付けられた。
普段、なんとなく思っているあやしい常識を否定することが、活字として出版されれいるからだ。
40数年間、生きてきて、「常識」を強要する人の多くは、人を操るために「常識」と言う言葉を用いて、ときには、相手を貶め、ときには金銭的な対価を与え、都合よく利用している言葉だと思う。
金銭的対価を得て「常識」行動をするのは、雇用関係が内在するわけだから、納得できるが、相手を貶め操る意味で「常識」を持ち出されていたことに気付いたたきは、不満タラタラだ。そもそも気づいたときは、手遅れなわけで。
まぁ、「嫌われる勇気」を持てばよかったんだと強く思う今。
僕の知っている相手を「非常識」と言っておきながら、自分が非常識な自分勝手な人は、今、立派に社会に貢献している。そして、幸せな家庭を気づいている。
学生時代に散々悪さをして、警察にもお世話になった輩達だが。
でも、分かる気がする。
人事担当や雇用する立場の人の話をきくと、受け身の人よりも、失敗を恐れず、動くことのできる人を求めているようだ。
学生時代から教師の指示に従って、指示どおり動く人は、誰でもできることしかしない人で、人間性の魅力などの付加価値に乏しいのではないか。
常識なんかは、胡散臭い、人を蹴落とす意識であるから、法の範囲において、例え、非常識と言われようとも、自分の信じることをしている人の方が、絶対に成功すると思う。