やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

東日本大震災の復興支援事業での不都合なこと

 もうすぐ東日本大震災から7年が経つ。
 テレビや新聞で被災者の頑張っている姿が繰り返し繰り返し報道され、ときには「弱者」として、「もっと支援をすべき」といった風潮で報道されている。
 
 僕は、今、震災復興事業でお仕事を得ている分際であるから、被災者の方は「大切なお客様」ではあるんだけれども、どうしても、道徳的に嫌だと思わずにはいられないことが多い。本当に多い。
 「折角だから、もらえるモノやお金はもらってしまおう!」とういう”被災者特権”をフルに活用している者が多い。

 早くに、再建を果たし、1度限りの補助金・支援金とかを受給した者は、被災者特権を失っているけど、被災程度の軽い者ほど、急を要しない被災状態だったからか、被災者特権を保持している者が多い。

 そして、粘って、ゴネて、居座っているものほど、最後に被災者特権を活用している者ほど得をしているようなのだ。
 
 震災後7年経過している。その後の風雨やら、家族構成の変化やらで環境が変わっている。
 その変化にともなう費用負担に、被災者特権を活用しているようなのだ。震災とは、もう関係ないと思われる状態なのにだ。

 早期に支援を受けて復旧した被災程度の重い被災者からは、当然、不満がでているし、仕事を頂いている僕らも疑問や不平を抱いている。
 おそらく、相当な税金が投入されていると思うが、もう見直す時期なのではないだろうか?

 どうして、メディアはこういったところを取り上げて報道しないのか不思議だ。
 CM収入が落ちるからか?



 

高齢化の波を感じる

 仕事で、お客様に呼ばれて営業にいった。
 農業を営んでいる70歳代の夫婦で、家は老朽化が進んでいる。

 修繕について提案するも、「あと数年で我が家は終わるから、放置してるんだ」とのこと。
 子どもは成長して関東に居を構え、後継者になるつもりはないという。

 行く末に対しての諦めの気持ちが漂う中、やはり、外からの冷気が入り込むのは堪えるから、なんとかして欲しいとのこと。

 営業していて、他人ごとではないなと強く感じつつ、現状では、行く末の見通しは、僕の方が真っ暗だ。

 なんにせよ、子どもがいるというのは、カタチを変えつつ、継ぐ者がいることには変わりはない。
 
 お客様のご夫婦については、まだ、子どもや孫が、その気になれば後継者になる可能性があり得る。ゼロではない。

 ただ、ただ、「いつかは何とかしよう」と考えつつ、時は無情に過ぎ去っていく。
 気が付いたときには、もう遅い。
 お金では、解決できないのだ。お金の魔力が感覚を狂わせるのか? それとも、教育による洗脳か?いや、両方か?

 否応なく、高齢化の現実を経験せざるを得ない。

 自分の人生である。自身で流れをつくりだし、充実した高齢化と次世代に継承できる状態を創れるように努力したい。
 たとえ報われなくても、自分の行動を自分自身で「褒められる」ように目指したい。


 

読売新聞記事『「男女不平等」幸せですか』の感想

 僕(男性)としては、今の社会は、男女不平等になっていると思っている。
 そして、経験上、どちらかというと、男性の方が不平等(負担を強いられているよう)に思える。
 
 僕が経験した仕事で感じたことは、医療や介護の業務ではなく、「糞尿」を扱う仕事は、女性達は給料をもらっているのに団結して平気で拒否し許され、結局は男性が「これも仕事だ!」と業務にあたったこと。
 災害時の呼び出しに対して、夜間は「女性だから配慮して」と主張され、職場は認めてしまっていたこと。
 社会制度的には、婚姻関係が最たる例で、離婚に際し、子どもの親権争いでは、男性は、女性には勝てないのが一般的な常識になっていること。
 人事異動では、女性は、地域、地区、場所、職場が配慮されるのに対して、男性は、全く配慮してもらえない。なのに、給料と昇給は同じ。
 離婚では、婚姻期間中に築いた財産は、実質的な内助の功は無いのに共有財産とみなされ、半分は相手方の女性に持っていかれ、さらに解決金だか慰謝料だか分からないが、割増でもっていかれること。
 最近の例では、熊本市議が強行した子連れ議会行為について、自分の子どもであるけれど「弱いもの」を人質に取って行動することが、ある程度、主に同性からだとおもわれるが理解を得ているのに対し、電車の女性専用車輛の居座り行為をした男性達に対しては、非難が多いこと(迷惑を被った方々が多数だったからだと思うけど)。

 そんなこんなで、やっぱり結婚はできれは、しない方がよいとさえ思えてしまう。
 どうして、さらに強固な「不平等条約」を結ばなければいけないのか分からないけど、世間一般の「常識」かなんかは分からないけど、結局は結婚してみたいものらしい?

 思うに、日本国では、女性が現状に甘えているんだと思う。
 仕事でも、「男女平等」で夜勤も命ぜられてもいとわないといった女性は、同性から嫌われ疎まれ、浮いていた。けど、出世もしたし、すてきな「お母さん」になっているし、僕もそんな女性が好きだった。そして、彼女は、もうすぐ管理職になるらしい。

 読売新聞の記事では、北欧のノルウェーが男女平等が先進的で高福祉だなんて書かれ方をしているけど、なんといっても、石油産出国(北海油田)であることが大きいのではないだろうか?
 そこから得られる冨を、男女平等に要するの社会的コストと、幸福祉に要するコストに充てているだけのように思えた。
 記事では「(女性の貢献度が)北海油田が産出する石油よりもGDPに貢献している・・・」とあるけど、やっぱり石油あってのものでしょうよ!
 資源を売って資金を得て、男女平等の政策サービスやら、高福祉サービスに充てているんだと思える。

 それを日本に当てはめるのは、無理があるんだけど、「女性」は都合がいいから利用するけど、男性は「黙するのが美徳」だから何も言わない。
 つまり、やられっぱなしということ。

 怖いのは、じんわりと、痛みを感じさせずに社会を蝕んでいくことだと思う。
 そして、気が付かないまま、社会制度は、混乱と秩序の崩壊に進む。

 これが一番最初に出るは、性風俗だと思っている。

 酔っ払いの戯言でした。


 

「特選 海鮮丼」を食す(宮城亘理町 どんぶり亭まつもと)

 40歳代中盤の今の僕にとっての楽しみは、食べることしかない感じ。
 そして、悩みは肥満(もっとも、他にも悩みはいっぱいありますが)。

 またまた、宮城県亘理町にある「どんぶり亭まつもと」に行って食してきました。
 この店は、あまり有名ではないけれど、満席で、次から次へとお客さんが入ってきて、店を切り盛りしている夫婦?は、「大忙し」といったところです。

 そして、今回は、「若いカップル」と思しき方々もいたりして、なんかうれしくなりました。
 店の佇まいとしては、あまり綺麗とか、お洒落とか言う訳ではないけれど、なんか、興味そそられる佇まいです。
 駐車場も、6台くらい駐車でき、たいてい仙台ナンバーと他県(関東地方が多いような気がする)ナンバーの客のクルマが駐車している。
 今日も他県ナンバーのクルマが2台駐車していた。おそらく震災関係なんだと思う。

 そんなこんなで、「特選 海鮮丼」(1,200円税込)を食べました。
 おいしかったです。本当に!
 量もちょうど良いし。

 知る人ぞ知るといったお店です。
 ちなみに今回で、4回目の訪問です。

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2月も終わり、名残り惜しい

 以前から、2月は「すぐに過ぎ去っていく月」という感覚があった。
 だから、時間を惜しみつつ、やらねばならないことや、やりたいことを意識して、行動に移していた。

 まぁ、毎度、毎度のことながら、「やらねばならないこと」は達成できたけど、「やりたいこと」には手が回らなかった。

 名残り惜しい思いはあるものの、僕はベストを尽くしたから、「良し」としている。

 40歳を過ぎると、どうしても、自分の寿命というのを考えてしまう。
 織田信長が「人間五十年」(敦盛)と言ったとかあって、五十歳を一区切りにすると、自分に残された時間はあとどのくらいだ!なんて意識してしまう(「敦盛」の本来の意味では無いようだけど)。

 やはり、正式決定は未だだけど、今の職場を去らねばならない状態にあるからかもしれない。
 職場では、あまり僕の発案は採用されなかったという事情からすれば、当然なのだろう。残念な気持ちもあるけど、すでに次を見ている。
 ただ、以前の勤務先で、こんな気持ちで退いたところもそうだったのだけど、後から、突然、「おまえ(僕のこと)のいうこと聞いていればよかった」との声をかなりの頻度で戴く。

 仕事では、気付いても、気づいていなくても、いつも手遅れ。
 空しいけれど、もう、慣れた。

 プライベートでは、手遅れにならないようにしているつもりだ!?
 プライベートを大事にしよう!

 
 

「ゴルディオスの結び目」と絆

 岸見一郎ほか著の「嫌われる勇気」を読んで、その中に出てくるアレクサンドロス大王が思いもよろない大胆な方法で解いた「ゴルディオスの結び目」のことを自分に置き換えて、ぼんやりというよりは、少し深く考えてしまった。

 そして、もう、かれこれ10年以上前に読んだ、精神科医の大平健著作(題名は覚えていない)の内容を思い出してしまった。
 その内容は、「絆」について書かれており、「絆」が”キズナ”のときは、精神的に安心と安定感を得られ満たされており、「絆」が”ホダシ”のときは、束縛を強く感じ苦しいといった感想を持った。

 ネットで調べてみると、
   絆 ”きずな”  馬・犬・たか等をつなぎとめる綱。転じて、断とうにも断ち切れない人の結びつき。ほだし。
   絆(し) ”ほだし”  自由を束縛するもの。馬の足にかけて歩けないようにする縄

 調べてみて、なんか、怖い気がしてきた。 
 いつもは、「きずな」なんて良い方の意味ばかりに焦点をあてていたけれど、「ほだし」になったら、捕らわれの身という印象である。

 世間は、キズナキズナといっているけど、当事者にとっては、ホダシかもしれない。
 キズナと思っていたものが、その後の意に反する出来事によっては、ホダシに変わるかもしれない。
 そして、どちらも、漢字にすると「絆」である。

 キズナはホダシに変わり、今の自分と、なによりも将来の自分に恩恵をもたらすさないと感じたら、断たなくてはいけないと思う。
 やっぱり、人生には「勇気」が必要だと、凄く感じてしまう。

 そして、新たなキズナを得て、それが、ホダシに変わりを繰り返し、ヒトは生きて行くんだろうなぁと思う。

 もしかしたら、結婚は、生涯「キズナ」であり続けることを意味することなのかも知れない(それが、愛か?)。

 僕にとって、自分自身の人生を生きたいと願うならば、「勇気」をもって、自分の心に正直に行動することだと、感じているけど、相手があるというのは、困難を極める。

 本当に、勇気がほしい。

東日本大震災での住宅復旧事業が滅茶苦茶

 仕事の関係で、東日本大震災の住宅復興関係の事業がおかしなことになっていると聞こえてきます。
 震災関係で仕事をもらっている我が身としては、なんとなく分かる話です。

 それが、ラジオで堂々とデタラメな話をしているというのだから、スゴイ。

 なんでも、罹災の判定が「半壊」の住宅を解体すると、役所から、補助金?が2百万円くらい出るらしい!(正確なところはワカリマセン)

 「半壊」の被害程度というのは、修理すれば復旧可能で充分居住できるという内容らしいが、その状況により、どうしても解体しないと復旧できないというのもあるらしい。
 そういった、どうしても復旧には解体しないといけない家で暮らす被災者を助けるために、「半壊」住宅を解体した場合、役所から補助金?が出るものだと、僕は、勝手に認識しているし、納得していた。

 それが、どっかの住宅メーカーが、ラジオで「震災で半壊した建物を解体すれば、役所から補助金?が出るんです! 解体して家を建てるなら、今がチャンスです」みたない広告を流しているし、営業活動をしているらしい。

 震災から、もうすぐ、7年を経過しようとしているのに、だよ。

 解体の本当の理由が、震災の被災によるものなのか?7年も経過しているから、風雨や雪や台風などによる単なる老朽化によるものなのか?それとも、実は、家庭の事情だったりして! と、今となっては、本当の理由が、だんだんぼやけて、複合的な要素になってきていると思う。

 それを、震災を理由にして、役所からお金を引き出すのはどうかと思うのですよ。

 真面目に、正直に、真っ当に、支援を受けて早い時期に生活を立て直した被災者の方々は、不利益になってしまうし、そんなことを赦すのは道徳的にも問題だと思う。なんらかの制裁は必要だと感じる。

 マスコミの報道なんかを見てても思うのだけど、今だに寄り添ってばかりだけど、寄り添う時期はそろそろ終わりに近づいていて、少しずづ距離を置きながら、「自立」を促す時期に来ている思う。
 そうしないと、被災者のためにはならないように感じる。

 現状は、再建した被災者が、未再建の被災者を支援するような構図になっているように感じるし、被災程度も、再建した人の方が重かったりするような場合もよくあると、巷の話では聞くし、僕もそう感じるときがある。

 まあ、何をもって「再建」とするかは、意見があるところではありますが。