今から約10年前、医師から癌で余命半年と告知を受けた方と一緒に仕事をした。
彼の余命については、本人も知っていたし、所属する職員全員に知らされていた。
その方は、直属ではないが、僕の上司にあたる人で、人生最後(最期)の活躍の場を、その職場と決めていたようだった。
割り当てられた仕事も、彼の病状に配慮された内容で、まわりを気遣いながら、体を休めながら、仕事をしていた。
ミーティングでのスケジュールの議題では、「その頃、俺はいないから」なんて思わず口にされ、どう言葉を返したらよいか分からず、周りが固まってしまう場面が1度あったのが、思い出に残っている。不安から出た軽い冗談のつもりだったのかもしれない。
そして、時が経ち、彼は亡くなった。
50歳代半ばだった。
傍らから見ていて思うに、彼のは、概ね満足いく人生を送ったのだろうなと思っている。
翻って、僕が、「仮に」余命宣告を受けたらどうしようかと。
今の仕事は、医療費を賄う社会保険の関係から、辞めないまでも、休職を求めるなどして、とにかく今の仕事はしないな。
人生最期の時間を今の「仕事」に絶対に割きたくはない。
では、何をしたいの?
その与えられた時間で(財産整理(処分)をしていそう・・・)。
ワカラナイ
でも、イヤなことに時間を割きたくはない。
FIREは生き方を模索するうえで、切実な課題だ。
いわゆる「出口戦略」の思想にも繋がっている
月々の不労所得(配当金)を常に把握し、確実な選択幅を広げたいと思っている。
時間という財産は否応なく減っていく。