やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

消費税の増税に怒る

 役所と取引していて、腹がたっている。
 仕事があるだけマシなのか、となだめつつ、公務員様が4年間も職務を放棄して、それなのに給料を得いたその仕事を、派遣から新たに雇われた僕が、「何とかしろ」ということで配属されて、9か月目に入った。
 
 最近、お役所から、「予算をやるから仕事を増やせ」との指令?があった。
 えっ? と思いきや、「要望したのは、お前のところだろ」と。
 僕は、存じ上げておりません。
 
 前年度予算の仕事も終わっておらず、それどころか、前々年度予算の仕事もできていない状態なのにである。
 当然、今年度予算の仕事も、着手したことにはなってはいるものの、先に手がけたものから処理するのが自然だろうに。

 どうなっているんだ、この業界は!?
 

 消費税の増税対策にしたところで、景気の落ち込みを防ぐとかなんとかで、結局は、税金を投入している。
 現金を使わず、カード決済したら、お得になるとか、新規購入の自動車税が軽減されるとか・・・・。
 これらは、必要とは思えない。
 何のために、増税するか分からない。意味がなくなっている。


 少子高齢化が加速している中で、この国の、経済やら、財政やら、税金の使い方を見ていると、将来に希望や、夢を見いだせない。


 独り、つつましく、自衛のために、資産運用するしかないのだなとしみじみと思ってしまう。

 この国の政府は、ドラ息子さながら、お金があればあっただけ使ってしまうので、膨大な借金状態を、強く意識させ、自制させる必要があるように感じる。
 そういった点では、民主党の野田政権時の消費税の増税は、大きな失敗だったと思わずにいられない。

 結局は、安倍首相に、遊ぶ金を渡したようなものだから。

改正水道法成立に伴う民間への運営権売却に反対する

 12月8日(土)の読売新聞の社説「改正水道法成立」を読んで、ネットやらニュース報道やらで、調べてしまった。
 
 驚いたことに、宮城県上下水道と工業用水を一括したコンセッション方式(自治体が運営権を民間に売却する方式?)の導入を検討しているとのことではないか?!
 
 海外の先行事例では失敗例もあり、パリやベルリンでは、民営化後に再び公営化されたとのこと。
 しかし、宮城県では、その失敗点を踏まえつつ、改善し、実施を検討しているようだ。

 ところがだ、12月4日の仙台市の郡市長の定例記者会見によると、「仙台市は上水の4分の1を宮城県から購入していることを踏まえて、どうして水道料金の高騰を抑えられるのか、制度の説明を求めたい」みたいなことを言っている。

 おそらく、市長には、前もって話は通っていたものの、大まかな内容で、深い内容ではなかったのだろう?
 今になって、たとえ、政治家として難しい位置にいるからといって、大口の顧客である市長からこのような発言が出ることにも驚いたし、宮城県側での計画が雑なのではないかと推測され、危惧を抱いてしまった。また、将来、仙台市が購入しないことになる可能性もあるのではと思ってしまった。

 仙台市においては、将来にわたって、自前で供給する上水量の価格と、宮城県から購入する上水量の価格を比較できる立場にある。
 現時点の状況と比べて、もし損になり 、いっそのこと自前の調達分だけの方が有利なのであれば、乗り換えると思う。市民からも声が上がると思う。

 人口は減っていくし、施設の更新時期も迫りつつあるらしから、例え今の設備で乗り換えが不可でも、更新時に合わせて改修すればよいのだから。

 民間業者にしてみても、リスクがありすぎる仕事だと思えてならない。

 生命に直結する公共インフラ事業は、税金を投入し運営したほうが、結果的に経済的だと思う。



 
 

 

株を購入し配当をもらった

 今年、借金している身でありながら、株式を購入してしまった。
 動機は、テレビで紹介されている優待名人こと桐谷さんの影響が大きい。
 
 いつもは、夏に、10万円程度貯金しているのだけど、今年は、株式を取得した。

 口座開設やらなんやらと、よく分からなかったけど、比較的に簡単だった。

 購入にあたっては、CMで見かける会社で、配当利率が3%を超える3社について、最低単位で購入してみた。

 当然、信用なんてありはしないから、現物購入。

 現時点での価値は、覚悟していたけれど、1万円程度のマイナスだった。

 ため息状態だったのだけど、目当ては、配当。

 多分、もっているだけで、毎年、受取れるはず。

 できることなら、将来は、配当金だけで生活してみたいとさえ思ってしまうが、なんとなく、よくない考えと思えてしまう。

 そんなわけで、昨日、中間配当ということで、1,500円程、頂戴しました。

 すこし、嬉しいです。

 

 

自分との意見の違いにイラだつ

 読売新聞社がネット上で行っている発言小町を眺めてしまった。
 「若い頃離婚して、成人した娘から未払いの養育費を払うように請求」とのスレッドを眺め、僕との考えの違いのある意見が見て苛立った。

 もっとも、法や、道徳に背かない限り、多様な考え方があってよいと常々思っているものの、やはり、自分と異なる考え方について、拒絶感や、反論を強く抱いたが、投稿はしていない。
 
 内容としては、
 「成人した娘から、法的義務のない養育費1,200万円を「一括」で払えと請求されており、使途は受かってもいない大学進学のためという。
 なぜ、一括なのか、その時々の状況に応じた分割では、駄目なのかとか、交渉でいろいろ話合われているみたいだが、娘からの説明は、乏しい具体性の無い内容。
 でも、トピ主は、元配偶者の不誠実が原因での離婚とはいえ、20数年間、不憫な思いをさせたとの思いもあり600万円程度は、できる限り支援したとのこと。
 しかし、相手は、一括で1,200万円を求めており、交渉が難航している。」

 といったもので、僕は、トピ主の気が済むのなら600万円程度の支援で、以後、打ち切りでよいのではとの考えで、概ね、大勢意見に沿っていると思える。

 少数意見の方々も、別に間違っているとは思わない。これには、正解なんてものはなく、あくまでも参考意見であり、娘の気持ちを推し量ったり、考え方を見たいのだと思う。

 このなかで、一部の少数意見の方々の文章表現が、本当に嫌だ。
 例えば、「当たり前のこと」「普通のこと」「人として当然」「愛情が足りない」「常識として」などの類だ。

 投稿者個人として、どう思うのかは結構なことだけど、公の場でこの表現を用いるのは、どうかと思う。裏返せば「あなたは、当たり前ではないヒト」「あなたは普通ではないヒト」「ヒトとして当然ではない」「子どもを愛していないヒト」「非常識なヒト」とも読みとれ、不快感を持ってしまった。
 心の中に、差別的というか、優越感というか、相手を軽んじているというか、そのような機微が窺えてしまう。

 変な圧力のかかっていない公平な意見で、かつ、多数者の意見の中での表現であるとか、法やその解釈で決まっているとかであれば「まぁ、そうなのか」と思わないでもないが。

 このような、表現を使うヒトほど、多数意見に耳を傾ける必要があると感じる。

 なんか、本当に安易に、用いているような気がしてならない。

 僕は、そういった表現を慎重に使わず、多用し相手に差別感を与えたり、軽んじる方とは、距離を置くことを、随分と歳を重ねてから、学びました。
 
 よって、排除すべき、意見も当然あってしかるべきだと思うのです(尊重はするが、同調(意)しない勇気を持つこと)。
 あくまでも、自己責任ですけど。
 


 
 
 


 


 

捨てられない病

 「捨てられない病」にかかっていることは、恐らく過去に何度か書いていると思う。
 振り返るのも、面倒なので、もうカテゴリーに加えてしまった。

 意外と、仕事の面では、捨てている。
 捨てないと、時間を食われて、所定の時間内に終わりそうもないからだ。
 だけど、同僚と比べると、まだ、捨て方が足りない。

 本当に仕事の早い人は、バンバン捨てる。
 そして、なんか捨て方が美しい。

 今の職場は、大所帯なのだけれど、東北大卒と噂される方々の共通点だ。
 
 捨て方には、判断力も伴う。その見極めと、ためらいの無さに憧れる。

 他方、バンバン捨てて仕事も早いのに困った人もいる。
 この人は、本当に無責任な奴で、僕としては、解雇レベルだと思っている。

 取引に必要な記録があるのに、捨てたのでもう知らない。と平気でのたまう。

 結局、僕らが後始末をする。
 これは、その当人が、後始末をするべきだと常々思っているけど、結果的に、奴は、超過勤務することもなく過ごしているから組織の評価もよく、出世も早い。

 しかしである。相手のある仕事で、誰も後始末しなかったことがあったようだ。そして、いつかバレルということで、10年以上してから、世間に発覚してしまったものの、「知らない」としらばっくれる。
 結果、証拠不十分で、奴は処分されることなく、組織がそのツケを被った。

 臆病になればなるほど、捨てられない。
 規則上も、頭の中でもう大丈夫と思っていても、不安だ。

 この不安との戦いを制して、仕事では、それなりにキレイにしている。そうしなければ、仕事は進まないからだ。

 
 さて、私生活を見てみると、もうダメダメ。
 仕事で精力を使い果たし、片付ける気力がわかない。

 それになんだろう、「まだ使える」といった、「もったいないお化け」の洗脳が強烈過ぎて、何から何まで捨てられなくなっている。

 この目に見える、現状に、さすがにヤバさを感じて、ささやかではあるが、捨て方をしている、今です。

 
 「もったいないお化け」をやっつけると、なんとなく、晴れる気がします。
 だぶん、過剰反応だったのだろうな。

 

前の職場の上司が訪ねてきた

 率直にうれしかった。

 僕が、今の職場で、かなりの超過勤務を強いられ、そして頭痛を発症し、体調が思わしくないとの話を聞いて心配していたとのこと。

 僕は、契約期間満了で、前の職場を去るしかなかったが、今にして思えば貴重な経験だった。
 やりたいことや、やらなければならないことは、結局、同僚の支持を得られず全くできなかったが、僕の考えや思いは表明できたと思う。

 その上で、組織として決断されたのだから、たとえ自分の意見が採用されなくても、もろ手を挙げて良かったとわ思えないまでも、充分に納得できた。

 元上司の気遣いに感謝しつつ、近況を話し合った。

 悲しいことに、僕が去ってから、仕事はそんなに上手くいっていないとのこと(僕に気遣って言ってくれているのかも?)。
 僕が去ってから、仕事の内容が大きく変わったから、当然ではあるものの、準備を任された僕の心配が現実になってしまったような話もされていた。

 だけど、今の僕には、何もできない。
 ただ、あなたの苦労を聞いてあげることを除いては。

 でも、嬉しかった。

 人とのつながりに感謝する1日だった。  

約20年ぶりにお見かけした

 先日、職場に一人の老人が営業に訪れた、ひと目見ただけで、約20年前にいっしょに働いた方だと分かった。
 当時、僕と、彼は、こまごまとした手を抜いても良いとさえ思えるような事務作業の仕事をしていた。

 彼はどちらかと言えば、人を仕切る才能を持っているような人で、チマチマとした仕事をするのは向いていなかった。
 結局、彼のやった杜撰だったり、放り投げたこまごました仕事の後始末は、全て僕がやる羽目になった。

 しかしながら、彼は、重要な大きな仕事がかった交渉事は、上手くまとめていた。こじれかかった交渉事も彼の度胸でまとめてしまった。

 僕としては、性格は合わなくて、こともあろうに苦言を呈してしまって、すごく険悪になったこともあったが、それなりに尊敬はしていた。

 そして、僕が、その職場を去ってから約20年後、なぜか彼がやってきた。
 どうも、他に知り合いがいたらしい。
 気付いた僕は、迷惑をかけられ、嫌な思い出を共有していることもあり、思わず、距離をとってしまった。
 そして、ただ御健在であることに少し嬉しくなった。

 彼が、帰ってから、知り合いから情報を得た。話していた内容というと。
  ・ もう78歳になり、いつ死んでもおかしくない歳になった。
  ・ 経営者である知人に乞われて、子会社に勤務したら、気が付いたら役員にまでなっていた。
  ・ 年齢が年齢であるので、引退したいのだが、引き留めてられて困っている(少し自慢あり)。

 なんて、話だったそうだ。
 彼は、家族にも恵まれ、財も築き、好きなことをやってきているようだった。
 
 羨ましくもあり、恨めしくもあり、複雑だった。

 人生なんて、そんなものなんだろうな。

 彼は、まさしく勝ち組だ。

 でも、僕は、そんなあなたに近づきたいとは思わない。
 これもまた、人生だ。