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東京オリパラ組織委員会の森会長の失言による辞任騒動の不気味さ

 過日、東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗会長が辞任した。
 辞任の原因となったのは、「女性を蔑視する」とも言える発言で、メディア、アスリート、スポンサー等々からの強烈な非難を受けてのものだった。

 この一連の騒動が凄く不気味で気味悪く悪意を感じてしまって、新聞を買うのを控えてしまったくらいだ。
 
 気味悪い理由は、是非は別にして、森喜朗氏は、元来、失言の多い方で、正直「また、変なこといっちゃったなぁ」程度の感覚でその役職を考えれば、ある程度発言に重みを増してしまうのは、仕方はないかといった感じだった。
 だから、謝罪会見で、幕引きと思っていた。

 ところが、発言力があるメディアが正義を振りかざし、強烈な非難報道をしたものだから、関係者は、その正義とやらを否定することもできず同調し、それがさらに都合の良い部分のみが切り取られ伝えられ、拍車が掛かって炎上してしまった。

 これは、「いじめ」の構図にほかならいと思う。

 他人のちょっとした過ちを過剰に評価し、反応して、思い責任を負わせるような、なんというか「ゆすり」というか、そんな感じさえする。


 あとは、「女性を蔑視する」発言だけど、男性が発すると、過剰に報道され、女性が発しても報道されないような気がするのは、なぜ。

 社会一般でも、離婚時に子どもの親権を取るは、ほとんどが「女性」で男性は戦っても勝てないというし、子どもに会わせてもくれないというし。映画とかの一般的な商業サービスで、「レディースデイ」なんものがあって優遇されるし、電車でも、「女性専用車両」なんてものがある。

 婚活のときなんて酷いもので、もう、10年近く前なんだけど大手の会社(O)なんて、男性を下にみる女性ばかりで対等に見てくれてるなと感じるひとは、少なかった。

 戦争や紛争では、人質となっている「女性、子供を解放せよ」なんて言われて、「弱い」存在と見られがちだけど、実社会では、「『弱い』存在」とされていることを武器にしている『強い』存在」に思えてならない。

 リスク(危険)は、回避しなければならない。

 永遠の課題なんだろうなと思う。

 ただ、メディアが一番、狡いと強く憤っています。