やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

映画や物語には、メッセージ性が感じられないものもある?

 映画を見たり、小説を読んだりして、感想を表現しようとすると、単に「面白かった」だけのことがよくある。
 
 学校教育の影響だと思うが、映画や、物語の類には、必ずメッセージ的なものが込められているものと思い込んでいた。
 製作者が意図しなくても、「気持ちが入る」というか、若干はメッセージ的なものが入ってしまうことはあるかもしれない。

 だけど、アニメ映画「天気の子」を鑑賞して、物語も面白かったし、映像も美しかったけど、それだけで、どうしてもメッセージ的なものを見つけることができなかった。むしろ、社会規範に反する内容があり、戸惑った。ネットで他人の感想とかを見ても、言葉をこねくりまわしているだけのような感じがしてしっくりこなかった。

 思い返せば、他の映画や小説なんかも、面白かっただけというのは、少なくなかったように思う。

 やっぱり、作品の制作にあたっては、興業的に利益を出さないといけないから、とにかく「面白く」なければいけない、メッセージ性なんて、鑑賞したり読んだりした人が勝手に創造していくものだ、という発想なのかもしれない。

 そうに違いない!となんか強く感じてしまうこのごろです。

 「メッセージ性を感じないのは、マズイこと」なんて思っていた自分から転換して、ただ単に「楽しむ」ことが正解だと強く思っています。

 そのほうが、人生、疲れないし。

仙台市議会議員選挙に関しての気持ち悪さ(脱法行為か?)

 先日の2019年(令和元年)8月25日に仙台市議会議員選挙が執行された。
 そのなかで、とある候補者とおぼしき図画のポスター掲示が、「これって、マズいんでないの?」と思える状態で街中のいたるところに貼られ、美観を損なっているように感じられ、不愉快だった。そして、今日も未だ貼られていた。

 他の候補者では、同様のことをしているものはおらず、定められたところにキチンと貼っている。となると、条件的に不利になる。

 ネットとかでいろいろと調べてみると、公職選挙法第143条にいろいろと定められており、正直、結構分かりづらい。
 ネットサイトでの要約をみると、ウィキペディアWikipedia)の「選挙ポスター」で解説されている。

 なんか法律解釈のわかりにくさを突いたこの行動には、拒絶反応を覚える。他の多くの候補者も同様の行動をとっているのであれば、まだ理解はできるのだが。

 というか、30年前くらい昔は、皆同様のことをやっていて、美観を損なうなどの問題があったから、掲示する場所を決めましょうということで、掲示のルールが整備されたと記憶している。

 その昔の経緯の記憶があるものだから、この逆行する行為には、余計に敏感になってしまう。

 候補者たるものには、それなりに清いモラルを有してもらいたいものだが、ちょっとこれでは資質を疑ってしまう。

 仙台市選挙管理委員会には、この選挙の事例を国や法律家に照会するなどして、スッキリさせてほしいと思っている。

 仙台市選挙管理委員会には「突破力」のある行動を求めたい。

 

職場の飲み会があった「和食と肉料理 仁吉庵」

 数日前に職場で飲み会があった。
 場所は、仙台市の歓楽街の国分町にある「和食と肉料理 仁吉庵」。
 出席者は、だいたい30人。
 同僚から、ここを会場にすると何かがある!と予告めいたことを囁かれていた。

 前回は、職員の婚約発表という慶事だった。

 そんなこともあり、ちょっと心に留めながら、料理を堪能した。
 酒も料理も美味しかった。値段相応といったところか。

 あと、建物が古びていていい感じの雰囲気を醸していてよかった。個人的にも使いたいと思わせる佇まいだった。
 
 それで、今回は「何か」が、残念な出来事であった。
 たまにあることだけど、上司が、部下の考えが気に入らなかったらしく、口論になった。

 ギリギリ口論で済んだからよかった。
 上司が、部下の胸ぐらを掴む行動に出て、乱暴とも受け止められる言葉を吐いていた。
 僕とは席は違っていたものの、思わず引いてしまった。

 季節と要因が加味されれば、いい意味でも、悪い意味でも、ヒトの気持ちを動かし行動させる場所なんだと感じてしまった。



 

お墓参りに行き、複雑な気分

 昨日、お墓参りにいった。
 そこに葬られている人達ちは、僕の遠い親戚にあたる方で、幼少から20歳代にかけて本当によくしてもらった。
 この受けた恩に気づき感謝したいと思ったとき、つまり今現在は、お亡くなりになってしまっていた。50歳代、80歳代の方々だ。

 そこの家の方々は、50歳代の方の妻の我儘が引き金になって、借金を重ね財産を失い一家離散し、心労により病に倒れ、そして亡くなった。
 葬祭は、住まいが近くということもあり、僕の家族が執り行った。
 
 墓を守る近い縁者がいなくなり、ふと現状が気になったこともあるし、残念ながら、将来、僕の家族の墓も確実に同じ状況になってしまうことだから、余計気になってしまった。

 その家の墓を訪れたのは10数年ぶりだったから、見つけるのには若干苦労した。まわりの墓は、改装され新しい墓石になっていたけれど、その家の墓だけは、昔の古いままだった。でも、すでに花と線香が供えれており、心が和んだ。

 その墓には、我儘を言った妻も眠っている。他の家族が亡くなり最後に残された。
 働くことが嫌いというか、先天的な知的性格の問題があり働くことできない女性だった。
 残された財産を気前よく処分して、経済的に困窮すると縁者に助けを求めたものの、亡夫側の縁者は、事情を知っているものの放置できず、渋々援助していたようではあったが、結局は交流は途絶えたようだった。
 妻側の縁者、つまり両親などの血族の側は、傍から見てもっと冷たい対応を取ったようだ。「厄介者」になっていた印象を受けた。
 その後、行政の世話になり、僕が知ったときには、入院しており、そして、亡くなった。

 亡夫が生きていたころ、本人や一部の縁者は、別れることや、別れさせることも考えていたようだ。
 結局は、他の世間体を気にしたり争いごとを避けたい縁者や、「厄介者」を返されても困るというもの妻家族の都合に負けて、別れることはできなかったようだ。

 もし、別れてさえいれば、違った運命になったのだろうな、とふと思ってしまった。

 しかしながら、墓碑に一緒に刻まれ、死んでも別れられないというのも、なんかやるせないと思った。

 決断できずに、やり過ごした末路なんだろうな。


 

8月15日の記念日の名称について思う

 8月15日は、昭和20年に昭和天皇の太平洋戦争の敗戦の詔勅があった日で、よく「終戦記念日」と表している。
 なんとなく、「記念日」と表現することに違和感を覚えてしまった。

 ふだんよく使う場合の「記念日」は、慶事であることが多いからだと思う。
 日本にとって、終戦した日は、「悲しんだ日」だったろう。
 その「記念日」の意味した出来事の差が大きいから、違和を感じるのだと思う。

 僕自身、一番しっくりくるのは、やはり政府の用いている表現「戦没者を追悼し平和を祈念する日」だ。となると、略して、「戦没者追悼平和祈念日」となったりするかもしれない。

 マスコミでの使われ方にも興味を持ったので、身近なところで調べたら、読売新聞は、社説では「終戦の日」、記事では「終戦記念日各党が談話」などと、バラバラ。河北新報では「終戦記念日」だった。
 政党では、自民党が党声明として「終戦記念日」、立憲民主党が代表談話として「終戦の日」、日本共産党が書記局長談話として「終戦記念日」という表現をとっていた。

 たぶんこれらも多様性というか表現の自由というものなのか分らないが、その意味することをみんなが知っているので、良しとされている表現なんだと思う。

 ただ、問題は、この違いを突き詰めるような仕事をさせられたらたまったものではない。
 スッキリと他人に説明すること困難だ。

 そろそろ、統一した名称としてもいいのではないかと、ふと思った。
 
 

株取引に溺れた

 将来の資産形成やら、NISAやら、老後年金問題やら、優待名人やら、そんなものに踊らされて、1年前から株式を購入している。
 社会勉強だからという思いと、優待名人の桐谷さんの投資の方針に興味をもってしまったものだから、つい手を出してしまった。

 結果は、散々たるもので、いろんな株式に総額200万円投じて、現在の評価額は、170万円。30万円のマイナス。

 僕の3か月分の手取り給料が吹っ飛んだか。

 才能がないことを自覚させられているお盆休みです。

生命保険契約を解約した

 約2年前、クレジットカード会社から「がん保険」を斡旋された。
 40歳代前半だったこともあり、月額1,000円未満で、5歳刻みで段階的に掛金が上昇していくというもので、解約金は無し。
 「とてもお得な契約」とのふれこみで、うっかり入ってしまった。

 この保険の問題は、65歳以降の保険料が4千円を超えるという内容で、当然、このころには収入は無い。
 結局、本当に保険を頼りにする時期に、「一番経済的に苦しくなる」とうことなのだ。

 むしろ、今の段階では、掛金が若干高くても、65歳頃までには支払が終わり、保険期間は終身となっているものが、結果的には安心のような気がするし、経済的にも精神衛生的によいと思えてきた。
 正直、まわりで、癌に罹っていた人を何人か見てきたが、残念ながら5年以内に亡くなっている。
 そのような状況を考えると、付き合いで既に入っている保険と、公的保険、そして貯金だけで充分ではないかという気がしてきた。

 とういうか、僕が抱く、将来的な経済不安を、この保険は全くカバーしていないと判断せざるを得ず、だったら、自分で貯金した方がマシではと思えてしまった。

 そして、先日、惰性で引っ張ってきた保険をとうとう解約しました。

 自分で決断するということは、疲れるけど、スッキリしたし、後悔するかもしれないが、他人から操られるよりは良かったと思っている。

 いま、余計なものとおさらばできて、少し、心が満足している。