やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

「あなたの仕事実績は評価できません」と内示された

 先日、タイトルのとおりのことを、役職待遇で示された。
 金銭面では、充分に貰っているから、耐えている。
 解雇を宣告されないだけマシなのかもしれない。

 ここ4年間、僕が斡旋される職場のポジションは、いわく付きだ。

 前の職場の前任者は、精神疾患で求職を余儀なくされ、残業手当不払などの雇用環境不備に関して裁判を起こしていた人だった。
 そこの職場を僕なりに軌道に乗せ、立て直した。

 それで、次の職場である今のところは、前々任者は、自殺で職場を離れ、その影響で次の担当(前任者)は2人態勢になった。
 その前任者2人の後任として、配属しようとしていた1者は、状況を察知して、着任拒否して退職してしまった。

 そして僕1人が配属されたという状況だ。

 今の仕事は軌道に乗りつつあるが、相当の苦労もあった。

 一番嫌だったのは、仕事をしない女性職員が多いということだ。
 (前の職場は、女性職員が凄い仕事をして、仕事をしない男性職員がチラホラという感じだったが。)

 結局、その女性職員の仕事を補いつつ、自分の仕事も片付けてきたのだけれども、評価できないとのこと。

 いっそのこと、閑職に飛ばしてもらって、就労時間後は、自己研鑽に励みたい。
 
 しかしながら、平気で、深夜勤務させるところなんだよ、ここは。




 
 

週刊ポスト「韓国なんて要らない」の記事について

 掲載している作家が止めるとかなんとかいって、世間を騒がせている。
 つられて、購入してしまいました。

 読んでみて思ったのは、「くだらない記事」と思いました。
 ネットやら一部のテレビ番組のコメンテーターのよく言っている韓国への苦言内容の程度ではないですか?
 誇張はあるように感じられるものの、「そういう雑誌」だよ、これは。

 むしろ、一連の騒動は、一部の作家の売名と親韓国の作家にうまく踊らされているように感じる。

 韓国は約束を守らなかったり、史実を歪曲して国際社会に吹聴し、日本を貶める行為をしているから、一時的に距離を置くにしても、この一連の強い主張をする作家さんとは、主張を受け入れ、サヨナラした方がよいと思う。

 週刊ポストを非難しつつも、日本と韓国、共に早く沈静化するような意見を述べるのならまだ分るが、火に油を注いでどうしようというのだ。
 あなたたちは、ステージを変えた方がよいと思うし、週刊ポスト側とすれば、新たな才能を発掘する機会になると思う。

 週刊ポストの売り上げが気になる。
 ある意味、尺度になる。


  

大須埼灯台(宮城県石巻市雄勝町大須)に行った

 8月31日(土)に宮城県石巻市雄勝町大須地区にある「大須灯台」に行ってきました。
 僕は、灯台巡りが好きなのかどうかはわかりませんが、結構いろいろとみています。
 灯台の役割から、立地はたいてい開けた場所にあり、行くと心がスカッとします。
 頭の中のモヤモヤが消え失せてしまうような感覚になります。

 今回行った「大須灯台」は、ちょうど1年前の平成30年9月2日の読売新聞朝刊で「大須埼「恋する灯台」に」との記事で紹介されており、知りました。
 ここがどおして「恋する」灯台なのかはわかりませんが、おそらくは、眼下に見下ろす港の波消しブロックの集まりがハートの形をしているからなんだろうなと思ったりしました。

 仙台市中心部からは、クルマで概ね2時間半の距離にあり、道すがら、東日本大震災での被災が甚大であった大川小学校の側も通ります。また、防潮堤工事などの復旧工事もいたるところで行われていました。
 大須地区の大きな道路沿いに駐車場の案内標識が出ていて、2,3台停められるところがあり、そこを利用しました。

 約20年前にこの辺をドライブしたことがある僕にとっては、変わってしまった景色に只々、悲嘆し驚いてしまいました。

 なんというか、被災者への鎮魂の思いで訪れたドライブでした。

f:id:sarly:20190902212132j:plain
大須灯台
f:id:sarly:20190902212238j:plain
大須灯台の祠?
f:id:sarly:20190902212216j:plain
大須灯台からの景色
f:id:sarly:20190902212309j:plain
大須灯台の入口
 
 

「Yume Wo Katare 女川」でラーメンを食べた

 昨日(8月31日)、宮城県女川町のYume Wo Katare Onagawa でラーメンを食べた。
 いわゆる二郎系と呼ばれるもの?で、850円?(よく覚えていない)。

 なんか、僕は、意識はしていないけど、二郎系と呼ばれるラーメンを食べ歩いている感じになっている。
 この女川での二郎系ラーメンも、ネットでたまたま見かけて、ふらっと食べにいってしまった。

 ちなみに、仙台の「ラーメン二郎」は、よく行っている。たぶん、20回くらいは食べている。

 それを踏まえつつ、女川の二郎系ラーメンを食した。
 
 ちょっと、ボリュームがたりないと思いつつも、この石巻地域での二郎系は貴重だと思った。
 味は、ラーメン二郎よりも、ラーメンビリーの方に近いと感じた。

 ラーメン二郎で食事するときは、気合を要するボリュームだけど、ここは、普通に気軽に食事できる量だった。
 もしかしたら、注文時に頼むシステムなのか?ニンニクは聞かれたけど。

f:id:sarly:20190901161916j:plain
宮城女川「YumeWoKatareOnagawa」ラーメン(普通盛り)

 二郎系特有の完食した達成感というものは小さいけれど、普通に美味しかったです。
 

 -----------------

 やっぱり、女川にきたら地元のならではの魚料理とかを食した方がよかったかな、と思いました。
 次の楽しみにとって置きたいと思います。

「憧れのヒト」と「一緒にいたいヒト」

 今日は、酒を飲んで酔っ払っています。
 ふと、憧れのヒトを思い出しました。
 僕は、男性なので、女性が好きなので、「憧れのヒト」も女性です。

 もうかれこれ、20年前の学生時代に過ごした女性です。

 その女性は、綺麗かと問われれば、普通の綺麗さで、カワイイかと問われれば、可愛く無い女性で、スタイルが良いかと問われれば、普通の女性です。
 恋愛感情を抱いていたかといえば、抱いていない。と、今にしてみれば、そう思う。

 惹かれた要因は、やっぱり「性格」に尽きる。
 同性(女性)からは、快く思われてなかったようだが、自由気儘に生きているような女性だった。
 サボったり、遅刻したり、ズルしたり、教師の言うことも、聞いたり、無視したりと、そんなことをしつつも「ちょっと優秀」な女性だった。
 
 意地悪な会話も、サラリとかわし、決して相手を傷付けない。


 そんなヒトに憧れますけど、たぶん一緒には生活できない。性格が違い過ぎる。

 情けない。僕は、やっぱり自己肯定感が低すぎるのだろう。

 となると、どんな女性がいいのかとなると、僕の性格に近い女性?自己肯定感の低い?

 やっぱり、自分の壁をぶち破る勇気が必要なんだと、50歳に近い年齢になって思います。

 いつだって「勇気」が必要だったと痛感する。

 
  


 

映画や物語には、メッセージ性が感じられないものもある?

 映画を見たり、小説を読んだりして、感想を表現しようとすると、単に「面白かった」だけのことがよくある。
 
 学校教育の影響だと思うが、映画や、物語の類には、必ずメッセージ的なものが込められているものと思い込んでいた。
 製作者が意図しなくても、「気持ちが入る」というか、若干はメッセージ的なものが入ってしまうことはあるかもしれない。

 だけど、アニメ映画「天気の子」を鑑賞して、物語も面白かったし、映像も美しかったけど、それだけで、どうしてもメッセージ的なものを見つけることができなかった。むしろ、社会規範に反する内容があり、戸惑った。ネットで他人の感想とかを見ても、言葉をこねくりまわしているだけのような感じがしてしっくりこなかった。

 思い返せば、他の映画や小説なんかも、面白かっただけというのは、少なくなかったように思う。

 やっぱり、作品の制作にあたっては、興業的に利益を出さないといけないから、とにかく「面白く」なければいけない、メッセージ性なんて、鑑賞したり読んだりした人が勝手に創造していくものだ、という発想なのかもしれない。

 そうに違いない!となんか強く感じてしまうこのごろです。

 「メッセージ性を感じないのは、マズイこと」なんて思っていた自分から転換して、ただ単に「楽しむ」ことが正解だと強く思っています。

 そのほうが、人生、疲れないし。

仙台市議会議員選挙に関しての気持ち悪さ(脱法行為か?)

 先日の2019年(令和元年)8月25日に仙台市議会議員選挙が執行された。
 そのなかで、とある候補者とおぼしき図画のポスター掲示が、「これって、マズいんでないの?」と思える状態で街中のいたるところに貼られ、美観を損なっているように感じられ、不愉快だった。そして、今日も未だ貼られていた。

 他の候補者では、同様のことをしているものはおらず、定められたところにキチンと貼っている。となると、条件的に不利になる。

 ネットとかでいろいろと調べてみると、公職選挙法第143条にいろいろと定められており、正直、結構分かりづらい。
 ネットサイトでの要約をみると、ウィキペディアWikipedia)の「選挙ポスター」で解説されている。

 なんか法律解釈のわかりにくさを突いたこの行動には、拒絶反応を覚える。他の多くの候補者も同様の行動をとっているのであれば、まだ理解はできるのだが。

 というか、30年前くらい昔は、皆同様のことをやっていて、美観を損なうなどの問題があったから、掲示する場所を決めましょうということで、掲示のルールが整備されたと記憶している。

 その昔の経緯の記憶があるものだから、この逆行する行為には、余計に敏感になってしまう。

 候補者たるものには、それなりに清いモラルを有してもらいたいものだが、ちょっとこれでは資質を疑ってしまう。

 仙台市選挙管理委員会には、この選挙の事例を国や法律家に照会するなどして、スッキリさせてほしいと思っている。

 仙台市選挙管理委員会には「突破力」のある行動を求めたい。