やるのは自分!主体性をもって、発展を!

日々感じたことを、皆との違いを恐れず記録します。そして希望を見つけます!

暇だと精神的に不安定になるのだろうか?

 Twitterを眺めながらぼんやりと考えています。

 経験上、暇となる時間を病とか懲罰とかで強要されているのであれば、何もすることができず、精神的にもツライと思いますが、暇が、すなわち自分が自由に使える時間のであれば、たぶん最初のころは精神的に不安定になるものの、ある程度経済力があれば、だんだんに慣れて、気楽な時間になると思っている(配当金生活もその類か)。

 激務の仕事から離れて、いきなり暇になってしまえば、暇になった時の過ごし方のイメージをする時間も無くて初めのころは、辛いと思う
けど、その辛さの中で、精神状態が不安定な中で、ダラダラしつつも将来のことを考え、自分のやりたいこと、できることを考えるようになり、そして、ささやかではあるが、部屋掃除、洗濯などをするようになると思う。そしてさらにステップアップを目指すのではないだろうか。また、いわゆる汚部屋やゴミ屋敷となるのは、精神的な不安定要素の反映だと思っている(50歳代後半からは、どうしても年齢からして将来の展望が開けず、それが精神的不安定要素になって汚部屋になりやすいと思う)。

 そう思うと、やっぱり、できるだけ若いときに(50歳代前半までに)、「やりたいこと」「できること」への行動を少しずつでもしなければいけないと感じているし、こう思えるのも、正月休みで暇だったからだ(このブログも僕にとっては、ステップアップ行動です)。
 
 以前は、長い休暇は辛かった。
 辛くて人に頼ったものの、結局は、好転しなかった。
 その人が良いと思うもは、僕にとって良いとは限らないのだ。

 「操り人形」のような雇われ仕事からは、距離をおいて、自分の人生は自分のものだと思える状況を、安全に自らの手で創らなければいけないと思っている。

 つまるところ、自立できていれは、やりたいことだらけで、能動的に動くから暇などないのかもしれない。

 もっとも、やりたく無いことも人生には必要と思っていますが、自身で選択してもよい時期だと感じます。

 操られていないと不安というのも、考えものです。