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「昭和の慣習は邪魔」か?

 年が明けてその日(元日)に石川県能登地方を震源とする大地震(令和6年能登半島地震)が発生し、翌2日には、羽田空港日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突し炎上した事故が発生した。
 本当に、重苦しい気分の年始となっています。
 この災難、事故で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。

 さて、今年は新NISA元年ということもあり、1日に日本経済新聞を買い求め読みました。
 そしたら、一面に「昭和の慣習が邪魔」との記事と、大きな文字で「解き放て」との表現。
 思わず、「なんか違うのでは?」とつぶやいてしまった。

 僕が社会人になったのは、平成初期だが、学生だった昭和時代は、家族や親族、友人知人の父兄の労働状況を見たり聞いたりして間接的に知っている程度でしが、寛容さと柔軟性があったそれなりに良かった時代だったと記憶している。なんせ、紙とペンと電卓の時代だ。
 
 平成になって、パソコンが普及し始めてからの制度設計がよろしくなかったかと思っている。
 なんというか、政府が余計な仕事をしているというか、今でいうミニマムマネジメントをして窮屈な社会にしてしまったような印象を持っている(最近でも、電帳法なんて国民経済の足を引っ張るようなことをやっているが・・・)。

 特に、平成15年度施行の個人情報保護法なんて必要性は理解できるが、国民への周知や制度内容があやふやで、国民のプライバシー保護意識を過度に煽ってしまい、個人間の繋がりをぶった切り、かつ再構築の難易度も上げてしまった。つまるところ、よっぽどの人間力や経済力を持っていないと、孤立や貧困を招きやすくしたと思っている。
 そして、これが就職氷河期結婚適齢期を迎えた世代と重なり直撃したものだから、結婚も困難だし晩婚化するしで出生率の低下といった人口の減少の要因の一つになっていると思っている。
 それから、今の若い世代は、個人情報保護法の施行される前をあまり知らないから、その点は視野が狭くならざるを得ず、発想の幅にも何らかの影響は出てくると思う。

 昭和は、「少し良かった」時代で、平成は「停滞」した時代だったと思っている。
 漠然と昭和を良くない時代とするのは、どうかと感じてしまった。
 
 ちなみに、教育については、昭和時代は、悪かったし、未だに改善されていないと思っている。
 PTA、校則、不登校、価値無き業務を止めもせず漫然と行っていること等々
 
 なんというか、我慢強い国民性が、美徳と信じて問題をやり過ごしてきたから停滞しているように感じる。

 高齢化社会を迎えて、前例無き社会が来るんだろうな。