7月17日(土)午後に東日本大震災の遺構で石巻市の「大川小学校」に行ってきました。
たぶん、5回くらいは行っていると思う。
初めて行ったのは、震災発生から3週間後くらいだった思う。
自動車で行けるところまで行って、徒歩でいった。
その当時は、あまり訪れる人はおらず、自衛隊や行方不明者を捜索する方がチラホラいる程度だった。
僕と同じく、関係者では無いもののとにかく現場を見たいという者が5,6人いたように記憶している。
その時は、校門のあたりに自衛隊の活動記録が写真入りで掲示され紹介されており、頭が下がる思いだった。
校舎の中にも自由に入れ、津波で破壊された壁や、捜索者などがつけたと思われる泥の足跡でいっぱいだった。
どうして裏山に逃げなったのかと疑問に思っていたので、裏山にいって登ってみたりもした。
小路があり、まったく危険性は感じられなかった。
当時から原因について色々言われており、当事者の多くは亡くなり、はっきりしたことは分からないが、石巻市街界隈で当時、話されて聞いたのは、今風に言えば、個性の強い教師への「同調圧力」が強すぎて、教師個々の判断が一時、封じられ、その結果、判断が遅れ惨事を招いたような内容の話をよく聞いたものだった。
これからも、この場所で、悲劇が語り継がれるのだと思う。